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法然・親鸞・道元・日蓮の研究が下火になっている理由

【入門】日本仏教の名僧・名著~総論(2)新しい思想の息吹を追う

賴住光子
駒澤大学仏教学部 教授
概要・テキスト
平安末期から鎌倉時代、公家から武家の世の中が始まると、それ以前とは異なる思想が必要になった。浄土思想が普及し、禅宗が伝来して始まった新しい仏教の流れは、現代にも大きな影響を与えている。総論の第2回では、さまざまなあり方から一つの方法を選んだ「選択」と明恵による「総合」を対比する。(全3話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:07:21
収録日:2020/08/20
追加日:2020/10/01
タグ:
≪全文≫

●「選択」の鎌倉仏教、「総合」の明恵


―― それでは、この表で法然と親鸞のあいだに挟まれている明恵という僧について、解説をお願いします。

頼住 そうですね。はい。明恵は鎌倉時代の人ですが、鎌倉仏教でよくいわれる「法然・親鸞・道元・日蓮」という流れの方がたとは少し方向性の違う人物です。

 どういうふうに違うかというと、例えば法然や親鸞の場合は「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」と言います。実は念仏にはいろいろなやり方があります。例えば阿弥陀仏の姿を思い描くのも、「仏を念ずる」という意味で非常に重要な念仏になります。しかし、法然や親鸞はそうではなく、「南無阿弥陀仏」と口で言うことだけに絞っていったり、選んでいったりしたことが特徴です。

 法然には、まさに『選択集(せんちゃくしゅう)』という主著があります。いろいろあるうちから一つだけを選んで、それに賭けていく。鎌倉仏教には、そのような方向性が非常に強いと言われています。

 例えば道元の場合は「只管打坐(しかんたざ)」で、坐禅に絞っていきましたし、日蓮の場合も「南無妙法蓮華経」という法華経のお題目に絞っていきます。そのように、何かこう、一つに集中していくという方向性を、鎌倉仏教は持っていると思います。

 明恵の場合、彼はもともと華厳宗の人ですが、華厳宗だけではなくて坐禅も取り入れるし、戒律も取り入れるし、また密教も取り入れていくように、非常に総合的なものを目指しています。だから、一般的な鎌倉仏教の「選択(せんちゃく)」として「選んで、集中していく」というのとは、また違う方向性を示しているということで、明恵もとても重要な人ではないかと思っています。


●最近「鎌倉新仏教」と呼ばなくなっているのはなぜか


―― それでは、今のお話でご紹介が出ましたが、年代でいうと「親鸞・道元・日蓮」という並びになっていくということですね。

頼住 そうですね。はい。

―― これは、ちょうど人物を追う形ですね。大きな流れもお話しいただきましたけれども、仏教のかたちでいうと、6世紀の半ばぐらいに仏教が日本に入ってきて、最初は「鎮護国家」仏教というお言葉がありましたが、まさに国を守ってもらう奈良仏教から、今度は山の仏教に入り、その次に「選択」と言いますか、絞っていくような仏教が展開していく...
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