●面白いフィクションをつくるための二つの条件
ここで少し話の方向を変えて、一般的にフィクションないし小説としてイメージされているような作品が面白くなるには、どこに工夫をしたらいいだろうか、という話をしたいと思います。
面白いフィクションをつくるための条件としては、恐らくまずは「筋(plot)」が重要だと考えられるかもしれません。つまり、読んでいって納得できるような、理にかなった筋を構築して、読者を巧みに作品の世界に引っ張り込む。それができてこそプロの作家であるというふうに思われるかもしれない。そして実は、文学作品において “plot”(筋)が大事だということは、古くさかのぼれば、アリストテレスが『詩学』という本のなかで主張していることでもあって、実に長い歴史のある文学に対する考え方になります。
これとはまた別に、恐らく「人物の性格(character)」が大事だと考える人もいるでしょう。魅力的な、あるいは個性的な登場人物をうまく組み合わせて、読者を飽きさせないようにする。それも確かにフィクションを面白くするには重要かもしれません。そのためには、言うまでもなく、それぞれのキャラクターが「キャラ」としてしっかりと造形されていることが重要です。
●『ロビンソン・クルーソー』は二つの条件を満たしているのか
では、『ロビンソン・クルーソー』という作品は、この二つの条件を満たしているでしょうか。
まず1番目の「筋」の問題について考えると、これまで説明したように、ロビンソンの行動を本人が合理的に説明できていません。つまり、偶然の思いつきや衝動で物語が展開してしまっている。ここに何か納得できるような筋、理にかなった筋をつくるのは不可能であるということがいえます。なので、筋を面白くするというのは、なかなか難しい。
実際読んでみると、『ロビンソン・クルーソー』の筋は実に単純です。無人島に漂着した後は、頑張って無人島を開発して、また苦難があって、また頑張って、それの繰り返しではあります。
次に2番目。性格の問題というのはどうでしょうか。この面に関しては、ロビンソンという人物は、なるほど確かに個性があります。無人島で自給自足の生活をするという人物像は、『ロビンソン・クルーソー』がおそらく初めて印象深く描いた作品というわけです。
そして『ロビンソン・クルーソー』の後、ロビンソン的な人物は他の文学作品や、あるいは文学を超えて映画やテレビのドラマ、ドキュメンタリーなど、そういったものにも頻出しているわけです。
「ロビンソン物語(Robinsonade)」、これはもともとドイツ語なので「ロビンソナーデ」と読んだほうがいいのかもしれませんけれども、そのことから分かるように、国を超えてロビンソンという人物像は広く受け入れられ、似たような人物を描いた作品がたくさん書かれるようになりました。
●人物の個性が躍動する作品だから近代的な文学という説明が可能なのか
というわけで、『ロビンソン・クルーソー』の面白さを考えてみると、どうも筋の面白さよりは、登場人物の性格や個性を重視して、そちらに面白さの比重があるのかなと思えてきます。
そう考えると、先ほどご説明したように、筋の面白さがアリストテレス以来、古典的な文学で──アリストテレスは叙事詩と悲劇を主に論じていますけれども──重視されてきたのに対して、『ロビンソン・クルーソー』では人物の個性が躍動している。そういった意味で、近代的な文学だという説明が可能かもしれません。
そして、そのような理由で『ロビンソン・クルーソー』が近代小説の元祖だと呼ぶことも可能かもしれないのです。
ここで、ちょっと話をひっくり返すようで恐縮ですが、私自身はどうも、この説明も『ロビンソン・クルーソー』の個性を考えるとあやしいと思っています。つまり、ロビンソン・クルーソーという人物の性格の面白さだけで『ロビンソン・クルーソー』を語れるとは思えないのです。