●プラトンの「詩人追放論」
ギリシア悲劇は紀元前5世紀に盛んに上映されて、当時の文化の花形になりました。これは市民のエンターテインメントや宗教行事であり、場合によっては政治的な意味もあったと思います。そういったものだけでなく、当然1つの文化の花形として哲学者たちも議論しました。
今日はその主な論争を1つご紹介しようと思います。私は哲学の専門なので、当時の哲学者たちがどのように悲劇に注目したのかについて、面白い例を1つ紹介したいと思います。
やはり悲劇は圧倒的な人気と影響力がありました。前回言ったように、春という季節になってこれから暖かくなるという時期に、皆が待ち焦がれて半円形劇場にやってきて、新作を1回だけ観ます。「今年はソフォクレスのほうが良かった」「アイスキュロスのこれはすごい」など、観た人たちは覚えていて、場合によっては論じ合っていました。私たちのように、エンターテインメントがたくさんある社会に生きているわけではないので、ギリシア悲劇が持っていた文化的なインパクトは計り知れないと思います。
それに対してある意味、正反対の2つの反応が次の紀元前4世紀に起こりました。1つは、プラトンの『ポリテイア』という、日本語で『国家』と訳されている本の最後の巻(第10巻)に、非常に有名な「詩人追放論」があります。「理想的な私たちの社会・国には、詩人は必要ない」と言っています。「詩人」と言っているそこには、最初はホメロスが代表ですが、実は悲劇詩人も入っています。
説明したように、悲劇は実は詩の一部で、むしろ詩の完成形態です。したがって、ホメロスの“後継者”としてのギリシア悲劇ということになります。そして、プラトンはある意味で哲学の側から詩を批判するときに、悲劇が悪い影響を与えると厳しくとがめました。
プラトン自身が優れた文学者だといっても構わないと思いますので、ある意味非常にアンビバレントな批判です。それにもかかわらず、詩人追放論は現在でも論争的な大きい影響力を持っています。
●悲劇は現実の模倣にすぎない
詩は“poiesis(ポイエーシス)”という単語で、もともと「制作、つくる」という意味です。特に「言葉で作詩する」というのが狭い意味でのポイエーシスで、現在でも“poet(ポエット)”や“poem(ポエム)”などはこの単語からきているのはお気づきになると思います。これはもともと「つくる」という意味なのです。
例えば、大工さんが実際の椅子や机をつくるのが1つの制作だとすると、それを絵で描いたりする画家は、一段階遠い離れた存在だというのがプラトンの批判の論点です。つまり、実際に人間が演じるのがリアルな場面だとすると、それを模倣する、真似して再現するのが詩や悲劇です。ということは、本物からは離れているということです。
プラトンの言い方では、真実から遠ざかることを「3番目」というのですが、1番目の何か理想的なものがあって、それを実際に現実化したものがある(2番目)とすると、それを真似て絵で描いたり、劇で表現したりするのは、実はリアリティからいったら離れているということです。ある意味、詩の文学の側から見ると、とんでもない批判です。
そういう批判によって、哲学と詩は昔から対立があり、本当に理想的な素晴らしい社会を実現しようとしている場合に、私たちは詩や文学をより慎重に扱わなければいけないというのがプラトンの主張でした。なぜかというと、おそらくプラトン自身が若い時から経験した、ある意味で悲劇の恐ろしい効果によるものでした。悲劇についてプラトンは以下のように言います。少し引用します。
《われわれのうちの最もすぐれた人たちでさえ、ひとりの英雄が悲しみにくれて、長いせりふを涙ながらに縷々と語るありさまとか、不幸を歌って胸を打つありさまとかを、ホメロスなり、他の悲劇作家の誰かなりが真似て描写するのを聞くとき、君も知るとおり、われわれは喜びを感じ、われを忘れて同情共感しつつ、ついて行く。そして、われわれを最もつよくそのような状態にさせる作家のことを、優れた作家であると真剣に誉め讃えるのだ。》
つまり、劇を観て、英雄が絶望して嘆き悲しむのを観て、うーっとこちらも胸を打たれることを、プラトンは批判します。なぜかというと、優れた人間は決してそういう感情に流されたり、あるいは運命を呪ったりしてはならず、冷静に耐えることが必要だからです。ところが、劇場に行くと、われわれはつい気を緩めて、泣いたり笑ったりしてしまいます。それは人間の教育のためには良くないというのが主張の大きなポイントです。
これだけだと、やや教育的な観点が強いと思うかもしれません。しかし、悲劇には注意しなくてはいけない点があるというのが、プラトンが悲劇に対して加えた批判でした。
...