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アリストテレス、ニーチェ…哲学者によるギリシア悲劇批評

ギリシア悲劇への誘い(7)ギリシア悲劇を論じた歴史

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
アリストテレス
出典:Wikimedia Commons
紀元前5世紀に隆盛したギリシア悲劇は後世に大きな影響を与え、ギリシア喜劇作家のアリストファネスは、『蛙』という作品で2人の偉大なる悲劇詩人の死を嘆いた。その後、哲学者たちによって作品が理論的に批評され、そのエッセンスは現代の文学や演劇などにも受け継がれている。(全7話中第7話)
≪全文≫

●アリストファネスによる喜劇『蛙』


 これまでソフォクレスの『オイディプス王』という劇を例にして、ギリシア悲劇の特徴を見てきました。最後に少し、それをのちの時代までの影響として現代につなげたいと思います。

 ソフォクレスは三大悲劇詩人の中でも、ある意味で代表格ともいえます。しかし、彼よりも年長のアイスキュロス、そして彼よりも歳が若くて少し先に亡くなったエウリピデスという3人がそれぞれ独特の持ち味を持って、先ほどのソフォクレスの『オイディプス王』とはだいぶ違う作風のものを作っています。ギリシア悲劇の中にはその魅力もあります。

 これは喜劇ですが、面白い劇なので1つご紹介します。同時代に活躍して、悲劇と喜劇を同じ劇場で、日にちを違えて上演しました。アリストファネスが紀元前405年に上演した『蛙』という劇があります。これは何ともいえず面白い作品ですが、基本的にはアリストファネスはパロディをします。

 ちょうど前の年に、ソフォクレスとエウリピデスが立て続けに亡くなりました。3人の悲劇詩人がいなくなり、全盛期が終わってしまったことを嘆きます。神様のデュオニュソスが冥府に赴いて、死んでしまった悲劇詩人を地上に一人戻したいと言います。そして、アイスキュロスとエウリピデスのどちらが優れているのか競争させます。人を馬鹿にしているような、またオマージュのような劇を作っているのです。

 これも現在に残っています。どちらが優れているかを競わせて、ギリシア人好みのアゴーン(競争)をやります。2人の論争の結果、アイスキュロスを連れて帰ります。アイスキュロスを連れて帰っている間に、冥府の彼が座っていた椅子にソフォクレスを座らせておくという話です。

 このような、三大悲劇詩人が持っていた紀元前5世紀のインパクトを裏側から示すような劇も作られています。ギリシア悲劇はそのあとも少し続くのですが、この3人が築いた、ある意味でものすごく集中した半世紀ぐらいの遺産を超えることがなかなかできませんでした。

 そのため、アリストテレスの『詩学』も含めて、それを批評していくようになっていきます。ギリシア悲劇は新作を毎年一回かけると言ましたが、それだけではありませんでした。そのあとに、それをまた地方の劇場で再演することが当然行われました。しかも、台本をどうやら公文書館などに保管する、あるいは編集することがあったので、そのおかげで現在のわれわれが『悲劇全集』という形で彼らの作品を読むことができるのです。


●アリストテレスの『詩学』における理論的分析


 ということで、繰り返し上演はされていました。ただし、もちろん一番初めに上演されたそのリアルなときが何といってもその作品の生まれた場所です。

 アリストテレスは『詩学』という本の中で、「悲劇こそが人間の制作の最高のエッセンスだ」と、すごく高く評価します。その中でもとりわけソフォクレスの『オイディプス王』は揺るぎない最高傑作だと評価して、現在までそういう評価が受け継がれています。

 どうして『オイディプス王』が傑作なのかをアリストテレスは理論的に分析しています。一つは「逆転」といわれている「ペリペテイア」と、もう一つは「認知」という「アナグノーリシス」です。この2つが揃ってうまくいくことが大切です。つまり、悲劇は単調にストーリーが進んでいくだけではダメなのです。今まで栄華の絶頂にあった人が突然どん底に落ちていきます。これが激しければ激しいほど悲劇が大きくなります。そのときには何が起こるかというと、実は事件が起こるわけではありません。人が殺されるとか、そういう事件ではなく、「気づく」ことが起こります。「知る」ということです。

 つまり、今まで知らなかった事実が分かる。それが逆転をもたらすのです。これはまさに『オイディプス王』がそういう劇なのです。自分が以前に殺した人が王様で、しかもそれは自分の父親でした。そして、そのあと結婚した相手が自分の母親でした。母親のイオカステにとっては、自分が捨てて殺したはずの息子がまさか生きていたとは思いもしません。しかも、それがまさか自分の夫になっていたとは。さらに、その夫が元の夫を殺したということで、このようにあらゆる認知が起こります。

 これは『オイディプス王』の中で、実は少しずつずれながら起こっています。アリストテレスが言っているほど、一度に起こったとは思いません。少なくとも、その連鎖がこの逆転を生み出しています。オイディプスという絶頂にいた優れた王様が、本当に人生の最悪の状態に落ちてしまう、そこに転換が起こりました。「これがまさに人間の運命を示す最高のつくり方なのだ」とアリストテレスは評価したのです。

 ですから、『オイディプ...
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