日本は第二次大戦後に軍事飛行等の技術開発が止められていたため、宇宙開発において米ソとは全く違う道を歩むことになる。日本の宇宙開発はどのように技術を培い、発展していったのか。その独自の宇宙開拓の過程を解説する。(全14話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●糸川英夫のロケットペンシルから始まった
―― いよいよ日本の宇宙開発についての話に入りましょう。日本の宇宙開発にはどのような特徴があるのでしょうか。
川口 日本は第二次世界大戦で敗戦し、航空飛行技術の開発が禁止されてしまいました。その中で日本の宇宙開拓は、小さなロケットを飛ばして科学観測をするという目的で始まります。「防衛技術という観点から弾道ミサイルをつくり、それが宇宙開発に結びついていく」というのが典型的なシナリオですが、そうではない道をたどっていることが日本の特徴かもしれません。米ソのような弾道ミサイル開発はできなかったのです。
日本のロケット開発は1955年、東京・国分寺において、東京大学教授・糸川英夫のもとで行われたペンシルロケットの水平発射実験から始まったといわれます。そして日本初のロケット打ち上げ実験は、秋田県の道川海岸から日本海に向けて行われました。これもペンシルロケットです。これを打ち上げたことが日本の宇宙開発のスタート地点だといわれています。そういう意味では糸川英夫がロケット開発の最初の当事者なのでしょう。
―― それはどういった動機だったのですか。
川口 動機はおそらく、単に一番関心があったからだと思います。ただ、科学観測という目的がないと、なかなか資金や予算の獲得が難しい。そのため「大気観測をする」「国際地球観測年(国際科学研究プロジェクトの名称)の中でロケットを使った観測をする」ということが一つの位置づけになっているはずです。
―― ペンシルロケットは小さいロケットなので、素人考えだと「たいしたことない」と思ってしまいがちですが、実はいろいろと実験データを取っていました。
川口 小さいもので実験するのは、それなりに難しいと思います。
―― 逆に難しいところもあるわけですか。
川口 そうですね。実験や観測は往々にしてそうなのですが、そこから精度よい結果を導くのは難しいことだと思います。
―― なるほど。
●日本の特徴は「固体燃料ロケット」だったこと
川口 その小ささをずっと堅持しているわけではなく、ほどなく「カッパロケット」(K-6型、K-9M型など)に進歩していきます。総数でいうと、かなり多くの数が打ち上げられている。1950年...