●米ソがほぼ同時期に有人宇宙活動に乗り出す
―― 前回は人工衛星が初めて打ち上げられた「スプートニク・ショック」(1957年)についてのお話を伺いました。
川口 無人の人工衛星の時代の話でしたね。
―― いよいよ次は人間が宇宙に飛び出していくという時代ですね。
川口 そうです。写真は旧ソ連が打ち上げた宇宙船「ボストーク1号」です。球形のカプセルの中に宇宙飛行士が乗るものですけれども、これも大きいですよね。想像するにロケットの直径が2、3メートルありますから、わりと大きなものです。
(右の写真が)ユーリイ・ガガーリンという有名な宇宙飛行士です。世界で初めて地球を周回した人間となりました。その前に犬は飛んでいますが(スプートニク2号/1957年)。スプートニク打ち上げから4年後(1961年)にボストーク1号が打ち上がり、そして地上で回収される。どこかの場所に行くわけではなく、軌道を周回して戻ってくるだけですけれども、人間を打ち上げて戻ってくるということが初めて実現しました。
宇宙飛行士は比較的、窮屈ではないように見えますが、そうではありません。左は、初回にお話ししたジョン・グレンで、「マーキュリー・アトラス6号」乗船中の写真です。右が、その次に打ち上げられた、スコット・カーペンターという宇宙飛行士が搭乗した「マーキュリー・アトラス7号(オーロラ7号)」です。搭乗時の様子が写っていますが、このような格好で乗り込むわけです。
―― これは大変そうですね。
川口 そうですね。左の写真ではスペースがあるように見えますが、おそらくとても窮屈で、本当に命がけですよね。それにもかかわらず、グレンは飛行をやり遂げ、地球に帰還するわけですが、このことが示すようにアメリカは、ソ連に追いつかなければいけないということで、大慌てでいろいろな宇宙開発を懸命に行いました。これ(グレンの宇宙飛行)もボストーク1号の打ち上げから1年後のことです。その意味では、米ソは同じ時期に同じことを行っているわけです。
―― 写真を見ると、大きさはソ連のほうが、ゆとりはありそうな印象です。
川口 大きいですよね。マーキュリー・アトラスは窮屈どころの話ではなく、大変だったと思います。ただ生還すること自体が素晴らしいこと...