●半世紀続けている「遊び」が生む「ときめき」
「遊び」となると、自分のやっている遊びでは競馬が一番好きです。40数年続けていて、あと2~3年もすると50年になる。この半世紀、週末になると競馬一筋に遊んできたことになります。ヨーロッパに行くとアスコットやロンシャンのようにいろいろな競馬場がありますので、やはり週末はそこで遊びます。
最近の私は、中学や高校時代の同級生を競馬に連れていく機会が多くなりました。定年近くなった皆を競馬場に連れていくと、競馬が老後の趣味として実にいいことに気付く人が多い。一応私の方でちょっといい席で見られるようにお願いもしているので、いい場所で見たせいもあるのでしょうけれどね。
競馬というと、何万円、あるいは何十万円も使わなければいけないのかと思われがちですが、100円からでもできるのです。100円のお金で、2分かそこらのレースが、ただ見るだけでなく、別の楽しみが得られるようになる。まず、何に賭けるかを決めるのに頭を使います。それに馬券が絡むと、ただ馬が走ってくるのを見るのではなく、自分の買った馬が3着以内に入るかどうかということで、ある種のときめきを持って見ることができます。
●『馬の世界史』で語る、馬が果たした大きな役割
これは競輪や競艇でもそうなのでしょうが、私はそちらにはあまり手を出しません。競馬といえば馬の血統があったりもするし、300年の伝統を持っています。そして、実は馬そのものが人間の歴史の中で非常に大きな役割を果たしてもきました。
私は『馬の世界史』(中央公論新社)という著書の中で、「馬がいなかったら、21世紀はまだ古代だった」と言いました。どういうことかというと、人間は馬を乗り回すことにより輸送と速い移動の手段を手に入れた。それによって、人間はスピードという概念を身に付けるようになりましたし、今でも「馬力」という形でエネルギーの単位にも使われています。
人間の歴史の中で非常に大きな関わりを持ってきた馬があまり重視されなくなったのは、せいぜい19世紀末か20世紀になってからのことです。それ以前は、いい馬を獲得することが輸送の手段としてはもちろん、圧倒的な軍事力の基本を成していました。そういうことがどんどん忘れられ、今は車や飛行機での移動になりましたが、実は100年~150年前...
(本村凌二著、中央公論新社)