●細井平洲に学ぶー学んだことは暗い夜道を照らす提灯
―― 前回、「50歳からの勉強心得」三箇条についてのお話がございましたが、その一方で非常に勇気づけていただけるメッセージもございます。
例えば、「終身現役、一生勉強をモットーに、死を迎える日までこれで良しと鞘に収まることなく、まだ不足、まだ未熟と自戒しながら命の最後の一滴まで燃焼させたい」とか、「学びを忘れたとき、人は本当の意味で老い始める」。逆にいうと、これは学ぶことによって道というか高みというか、それがどんどん開けていくんだという、何かこう勇気づけられる言葉です。
童門 ありがとうございます。
―― ここにはどのような思いがあるのでしょうか。
童門 僕の尊敬する江戸時代の学者で、細井平洲という人がいるんです。この人は改革者として有名な上杉鷹山という人の改革の指導者なんです。この人が「学んだことは、暗い夜道を行く自分の足元を照らす提灯だよ」と言っているんです。が、そのことです。
闇を歩く(暗い夜道を行く)というのは孤独な道を歩いていくということです。そのときに明かりも何もなければ、つんのめったり、谷へ落っこちてしまったりしますから、やっぱり足元を照らす明かりが必要ですよね。それはもう学ぶこと以外にない。だからそれは、常に孤独な道を歩いていく自分の足元を照らす、つまり自分で自分を照らす提灯だと。だから火を消してはいけないということですね、生涯。
―― なるほど、それがある意味、自分の終生の友というか、ともに歩くものにもなるし、導きの光にもなるというところですね。
●「起承転転」のすすめ―死ぬ瞬間まで完全燃焼させて生きていく
童門 はい、そうです。僕の人生観は、古い言葉に「起承転結」というのがあるんです。「起」があって、「承」るで継承して、それから「転」機が来て、最後に「結」というのは結びですね。だけど僕は、人間の生涯に誰も「結」はないと思うんです。よく棺の中に入ってから評価が分かるという言葉があるけど、あれは「結」の考え。そうじゃなくて、一生「転」だろうと。死ぬ瞬間まで「転」というのは、転がり落ちるということじゃなくて、持っているエネルギーを完全燃焼させて生きていくということです。
だから、そういう意味で「起承転転」、転イコール学ぶということじゃないかなと。学ぶというのは、何も本だけ読め...