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50歳までの人生の負の要素も幸福の調味料になる

「50歳からの勉強法」を学ぶ(3)己の中にあるものを恃む

童門冬二
作家
情報・テキスト
50歳からの学びはそれまでの生き方を大事にし、自分の中にあるものを再発見、再評価するつもりで臨むべきだと、童門冬二氏は言う。多少不格好であっても誠実に学び続ければ、人生の負の要素さえ幸福の調味料になり得る。そうするためにも、さまざまに人生経験を積んでからの大人の学びは重要なのだ。(全6話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:06:54
収録日:2020/01/09
追加日:2020/05/28
カテゴリー:
キーワード:
≪全文≫

●50歳までの生き方を大事にする


―― これまで伺ってきたのは、どういう心構えで行くべきかという総論的なところだと思いますが、続きましてそれ以外に具体的なノウハウに近い話にまいります。

 まず一つピックアップで、私が大きな枠を作らせていただいたのですが、「己の中にあるものを恃(たの)むべし」です。要するに自分自身の中にあるものをたのむというか、そこに立脚して行くべきだということを、先生はすごくお書きになっていると思いましたので。

 例えば、「学びの種は未知ではなく、むしろ既知の分野を探しなさい」。あるいは、「50歳までは仕込みの時期である。樽の中での仕込みが十分であれば、おのずと肥え、伸び育っていく」ということをお書きになっておられます。ここは、どのような心構えで行けばよろしいでしょうか。

童門 50歳までの生き方を大事にしましょうという意味です、半面は。それまでも大事にするような生き方をしてきたのなら、その後もそれを大事にしないというのは、自分で自分に愛想を尽かすことであって、自分を大切にしていない。そういう人は50歳から学んでも無駄ですよということです。やっぱり学ぶ資源というか教材は全部、今までの人生の中にあるということです。


●教科書は自分の過去にもある


童門 そのときは、全部が全部「ああ、俺は立派だったな」と思うんじゃなくて、再発見とか再評価とか、あるいは反省とか、いろんなものがあるだろうと思うんです。だから、そういう気持ちが大事で、それが学ぶ心ですから。

 場合によっては、先ほど取り上げた吉川英治さんの言葉「自分以外の全てが師である」ということも事実だけれども、自分にも学ぶところがあるなと。再発見をするときに、そういう態度も決して人から誹謗されるようなことじゃありませんよと。大いに自分から学びなさいということで、教科書は自分の過去にもいくらでもあるでしょと。

―― そうすると、喩えが適切かどうか分かりませんが、お酒がずっと好きだった人であれば、全国の酒蔵を巡って酒の歴史なりを深めていくこともあるかもしれない。自分の中で培ってきたものをまず一つの種というか立脚点としてやっていくということですね。

童門 きっかけにして、ね。


●不格好に生きてきた人生の負の要素も幸福の調味料になる


―― さらに、人間は生きていくと、そんなに立派に生きてこなかったなあと思う人も多いと思うんですけど、そこも非常に勇気づけられる言葉をお書きになっています。

 例えば、「不格好であるがゆえに生きている時間の一滴一滴が尊いものとなる。生きがいや幸福の調味料となる」というお話ですとか。ただ、そういう不格好さを調味料とするためには、「負の要素を調味料として人生を生きるに値するものとする条件、それが『学び』である」と。だから、人間それぞれ不格好に生きてきたんだけれども、学んでいけば、それが人生の生きがいとか、幸福の調味料になるという、非常に有難いメッセージをお書きいただいております。

童門 いえいえ。

―― ここはまさにそういうところですね。

童門 50歳の前には世間体とか、いわゆる他人の目というものをいろいろと気にしますが、それはそういう目を意識しなきゃいけない場合もあるんです。若いときは特に、ね。特に男と女の関係でいえば、20代のときはええカッコしいばかりで、それにうつつを抜かす。いいんです。それはそれで。

 だけど、いつまでもそうやっていても学びにはならないので、50歳になる頃には多少カッコ悪くても、そこに誠実さがあればいい。その誠実というのは美に通じますから。そうすれば、自分では不格好だなと思っても、自然に振る舞っていれば、他人の目にはもっと温かく、「ああ、あの人は素晴らしいな」と映る。逆にそういう不格好さに潜んでいる美とか、誠実さに対する慕わしい気持ちを持ってくれると思います。それがその人の徳でしょうね。


●苦く酸っぱい人生経験をひととおりなめてからの『大人』の学び


―― まさにそういう積み重ねで、もう一つお言葉があるのが、「50歳からの勉強法とは、苦く酸っぱい人生経験をひととおりなめてからの『大人』の学びであるべき」と。まさに今のそういうところですね。

童門 先ほど言いましたが、自分でも、あるいは他人に対しても、特に指導的立場に立った場合には、自分自身が定食コースをきちんと食べて、その味わいを知らなければ、人は導けないということでしょうね。

―― まさにそういう面でも、自分が今まで培ってきた、酸いも甘いもいっしょくたにして、そこから出発していくということですね。

童門 そうです。
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