●やる気さえあれば、時間はつくりだせる
―― 最後に、時間の使い方ですね。時間術に関する本は書店に行くと山ほど出ていて、皆さんにとって悩みの深きテーマだと思うんですが、これも先生は非常に独特のお考えをお書きになっていますので、いくつかご紹介します。
「時間だけを基準に自分の人生を規定したくない。それよりも自分の中に息づいている生命のリズム、すなわち天の理に従いたい」。
この言葉はちょっと難しげな形で書いていますけれども、この本では実例とともにお書きいただいています。時間、何時が締め切りとか、何時だとか、時計の針だけに縛られないというお考えですね。
童門 よく「時間がない」とか、「忙しくてしょうがねえ」という人がいますけどね、佐藤一斎という江戸時代の学者が「重職の心得」といって、こんなことを言っているんですよ。重職というのは管理職ですけど、「忙しい、忙しい」と言うなと。それは決して職場に対して、部下に対してもいい影響を与えないし、逆に「一体あの人何をしてそんなに忙しいんだ」と思われるようなことがあるんだと。
だから、忙しいというのはどう言ったらいいのか、時間があるとかないとかいうことを言うけれど、それはそうではなくて時間というのは自分でつくりだすものなんだ。あれは一種の生産物であると。だから、やる気さえあれば、必ず時間も副産物として自然に生まれてくるものなんだ。
だから、時間が無い、忙しいというのは、「やる気がない」ということなんです。やる気さえあればそれがモチベーション、動機になって、それに必要な時間も自然に生まれて、ついてくるもんだぞ、と。そんな意味のことを言っているんですけどね。
だから、その作る工夫、知恵、努力。これがなければ、やっぱり時間というのはないんですよ。
●時間は「ある・ない」ではなく、「そのことをやる気があるか、ないか」
―― これは、まさに先生のご本の中にもそのお言葉があります。
「『時間がない』という人がいるが、それは怠け心がいわせている言い訳にすぎないことが大半。たいていの『時間がない』は『時間をつくる気がない』と同義。時間は『ある・ない』ではなく、『そのことをやる気があるか、ないか』のこと」
―― もう一つあります。
「やる必要のあることは、やる気なんかに相談せず、やる気の生じるのを待つこともなく、さっさととりかかる。こうした動物的反応が、時間の創出や勉強の効率に、意外なほどの好影響を与える。」
これですが、「やる気が出ない」とか、だいたい皆さんよく言いますし、「時間がない」「やる気がない」というのは、受験生から始まって世の大人まで、いろいろとわが身を振り返ると痛く感じることも多いかと思いますが、そういうものじゃないんだということですね。
童門 そうです。まったくその通りで、(時間は)ある・無いではなく、作るもの。だからこの言葉は、「作れない」と考えている人を対象にしているということですね。
●決断のものさしは、51対49でもやらなきゃならないと思ったらやる
―― 先生、逆にやる気が出ないとやれないというのは、まさにどこかの受験生のような話ですけど、そういう話ではなくて、そうじゃないと思っているからこそやれるというところがあるんでしょうか。
童門 そうですね。それは一つの決断の問題でもあるんですよね。やるべきか、やらざるべきか、『ハムレット』のようにね。だけども、僕のやる・やらないに対する一つのものさしは、やらないで後悔するなら、やって後悔しろということで、決断です。その決断のものさしも、51対49でも、やらなきゃならないと思ったらやろうと。わずか2票差ですけど。そういうことから時間の問題も考えると。やらないとチャンスを失っちゃう場合がありますからね。
●自分の中で大切にするものと排除するものを見極める
―― そういうことですね。だから、まさに今回の『50歳からの勉強法』というこのテーマからいくと、ちょうど今までお聞きしてきた半面が、まさに自分の今まで培ってきたものを大切にしようというところがあるわけです。もう半面で、先生がおっしゃったように、やる気がある・無しじゃなくて、やるんだという、そこの自分を大切にする部分と、なおも自分をそういうモードにしていくという、その両輪がないと、なかなか人生後半の学びというのはできるもんじゃないというところでございましょうか。
童門 そうですね。だから、過去の49年の蓄積の中には、惜しいだろうけれども、捨てなきゃいけないものもあるかもしれませんね。
―― それはどういうことでしょうか。
童門 腐っちゃっているとか、もう今の時代に合わないとかね。アップ・トゥー・デイトなものじゃないなとかね。だから自分でもよくこんな馬鹿なことをや...