●家の外が書斎以上の重要な位置を占めている理由
―― さらに具体的なノウハウについて、次にまいりますけれども、「勉強空間の工夫」ということで、一つパッケージをつくらせていただきました。
まずは書斎ですね。多くの男の憧れに書斎というものがあるかと思いますが、これも非常に勇気づけられることをお書きになっています。
「ぼくは家の外のあちこちに書斎を持っていて、そこがぼくの勉強法にとって書斎以上の重要な位置を占めている」
これは書斎といっても、本を読むとよく分かるのですが、決して皆さんがイメージする書斎ではないんですよね。これは先生、どういう意味でしょうか。
童門 飲み屋に行っても、あるいはタクシーの後部座席でも、みんな書斎だと。学ぶ気持ちがあれば、そこは学びの部屋になる。そういう気持ちを持って、自分が身を置いた環境をそのように考えましょうという意味です。
だから、居酒屋のご主人や他の客と話しても、心の一隅ではここも学び舎だと思えば、ワアワア騒いでいるところも書斎になってしまうし、タクシーの孤独な身を運ぶ走る空間も書斎になるということです。
●学ぶ気持ちがあれば、タクシーの中でも学べる
童門 タクシーの運転手とこんな話をしたことがあったんで、少しいいですか。
以前にタクシーに乗った時、ちょっと横丁へ入り込んだんですよ。すると、電信柱がボコボコ立っているわけです。小池百合子都知事が以前、電信柱を全部地下に埋めるということをオリンピックに向けて実現させていきたいというようなことを言っていたけど、「こういうところはそのほうがいいよね」と、運転手に言ったんです。
そしたらドライバーが「そうですかね」と言ってね。そして、「私はこのままでいいですよ、このままのほうがいいと思いますよ。ここに住んでいる方々にとって、やたらタクシーや車が入ってくるのは歓迎しませんよ。われわれの場合でも子どもが乗った自転車が急に飛び出してきたりして危ないし、電信柱がなければそういうことになってしまうかもしれない。だから電信柱が立っているというのは、よけいな車の進入を防ぎ、そして地域の交通安全を守る一つの柵みたいな役割を果たしているんじゃないでしょうかね」と言った。
―― むしろ走りにくいからこそ、ゆっくりしか走れないということですね。
童門 そうです。それで「ああ、俺は今日、おまえさんから学んじゃったよ」と答えました。
―― なるほど。
童門 そういう学びの例もあるんです。
●集中すれば、喫茶店も書斎になる
―― そういう面と同時に、これも本でお書きになっていたことですけど、例えば、喫茶店なり、なじみのお店で先生が持ち込んだ資料なり、本なりに没入というか、集中していくと、だんだん周りの音も気にならなくなって、自分だけの空間になってくるし、むしろ他の人の目があるから怠けなくて済むというか、集中できるんだと。そのようなこともお書きになっていました。
童門 おっしゃる通りです。そんなところでムキになって本を読むなんていうのは、喫茶店は憩いの場だから、奇異な目で見られますよね。だけど場合によっては、奇異な目で見られることが、今言われたように、こちらの緊張感をさらに強めて、学ぶことに没入できる。視線を感じながら固くなっているんだけども、実際には持っていった本の中に完全に没入できるような、完全な書斎になっているということです。
―― だからこれも本当に、どういう心の持ち方でいるかで全ての環境が変わってくるということですね。
童門 そうです。
●モンテーニュに学ぶ、自分だけの三畳間を用意する意味
―― 次は、モンテーニュの非常に印象深いモンテーニュの言葉です。
「人間は自分だけの三畳間をもつことが必要だ」
童門 モンテーニュの『随想録』を関根秀雄さんが訳したんだと思うんですが、三畳間というのは、誰も入れない、入ってこない、「あそこはあの人だけの空間なんだ」という、そういう場のことで、そうしたところを持っていようということです。それは、物的にそういう部屋を用意するんじゃなくて、道を歩いていても、職場にいても、つい追い詰められたり、あるいは落ち込んだりしたときには、自分だけの三畳間を用意して、自分をそこへ入れて憩わせるとか、慰めるとか、あるいは落ち込んでいるのを引き上げるとか、モラルアップするとか、そういう機能を持つための時間というか、観念のことです。
―― それも先ほどの書斎と一緒で、まさに空間に対する意識ですね。そういう空間を自分は持つんだということですね。
童門 そうです。
―― これはもちろん場合によっては喫茶店の椅子席であってもそうだし、そこもまさに今、自分が自分を見直すというか、孤独になるための空間になるというところ...