●「大人の学び」のスタイルは、学生の時とは異なる
今回は、「大人の学び」というものについて、お話ししたいと思います。現在は人生100年時代であると言われており、ある意味で、大人になっても、あるいはいくつになっても、何かを学ぶことが重要になっています。学びを通じて、自分のスキルをアップさせていく、方向転換をしていく、あるいはさまざまな形で自分の頭の中を見つめ直す。そういった時間がかなり必要になってきているのです。
しかしながら実は、大人になったときにどんな学び方をすればいいのかは、意外と多くの人がよく分からなくて迷っているのではないかと思っています。私は実は、大人の学び方というのは、いわゆる学生の時の学び方とはやはり、随分スタイルが違っていいのではないか、あるいは違うべきなのではないか、そう考えています。
●長距離的発想で学ぶ
中学校、高校、場合によっては大学、こういった学校での学びというのは基本的に、何かの試験で良い点を取る、そのために、できるだけスピードを速く、効率よく、いろいろな知識を身に付ける。こういう面がやはり強かったと思います。大人になったときにも、例えば何かの資格を取るために、受験勉強をすることもあります。そういった場合には、同じように効率よく試験が解けるように、高い点を取れるように勉強する。そういう点では、同じような勉強の仕方をする必要があるでしょう。
しかし、ほとんどの人が考えている、あるいは必要だと思っている大人の学びというのは、具体的な試験などはないケースがほとんどです。つまり、何かを時間内に解く、または分かる、そういうところに学びのゴールがあるわけではないということがほとんどです。同じように英語を勉強しようとしても、例えば何か英語の資格試験を取るならば別ですが、そうでないならば、単語をどのくらい覚えればゴールかというようなことは、よく分かりません。
明確なゴールがない、しかし、日頃の仕事が忙しくてなかなか時間をかけることができない。これが、大人の学びの特徴なのだと思います。そうするとやはり、学び方のスタイルを学生の時とは変えて、言ってみれば長距離走の発想で勉強することが必要になってきます。学生時代の試験勉強は短距離走のようなもので、できるだけ早く、1秒でも早くゴールにたどり着くことが目標です。その目標のためにどうやって時間を使うか、何を学ぶかということが大事になります。
しかし、大人の学び方というのは、そういう意味ではやはり、忙しい中で明確なゴールがない状態で行われる長距離走です。このような大人の学びの大事なポイントは、急がない、焦らないということです。
ここで、急いだり焦ったりすると、何が問題になるのか。それは、大人の学びにおいては、十分に時間が使えず進まないことがあるので、そこで焦ってしまうと、逆に自分は駄目なのではないかと自己嫌悪に陥るからです。そうなると結局、学びを諦めてしまったり、学びが進まなくなったりしてしまう。その大きな原因が、急いだり焦ったりすることなのです。かなりの社会人の方が、勉強する意欲はあるけれども、うまく勉強できていない自分に嫌気がさしてやめてしまう、そういう話をよく聞きます。私は、これは大変もったいないことだと思っています。
●十分に勉強できなくても急いだり焦ったりしない
ここで、考えてほしいことがあります。大人の学びにおいては、例えばほとんどの人が自分は(十分に勉強する時間も取れなくて)駄目だと思っているのなら、逆に考えるとその状況が普通だということです。ですから、普通の状態を見て駄目だと思って諦めてしまうことは、ややばかげた話であります。
十分に勉強ができない状況が普通だと思って、どこかで勉強ができる時間を探す。そして、できるときにやる。そういったことがやはり、大人の学びにおいては必要なのだと思います。忙しいときにはできなくても構わない。場合によっては中断しても構わない。もっと言えば、三日坊主でも構わない。これが、長距離走である大人の学びなのです。
これはよく申し上げることなのですが、三日坊主という言葉は、駄目な例えとしてよく使われています。しかし、1年の間で3日勉強できれば、それは10年たまれば30日勉強したことになります。そうすると、30日勉強している人と、全く勉強していない人とでは、実はかなり差がつくはずです。10年でそれだけ差がつけばある意味で十分である。そういう感じで割り切れば、三日坊主でも十分なのです。これが、大人の学びの基本的なスタンスです。
これは、仕事を辞めて何か資格試験のための勉強に専念をしている人であれば、話は別です。しかし、ほとんどの人は仕事の合間にしか勉強できません。そうだとすれば、そんなに勉強が進むは...