●若いうちから「死の練習」をすることが大事
―― 続いて第4の理由は「死について老年はどう対処すべきか」というテーマになります。いくつか読みます。
「死というものは、もし魂をすっかり消滅させるものならば無視してよいし、魂が永遠にあり続ける所へと導いてくれるものならば、待ち望みさえすべきだ」
「何しろ終わりが来れば過ぎたものは流れ去ってしまうのだから。ただ徳と善き行いによって達成したことだけが残る。時間も日も月も年も過ぎて往く。そして往時は還らず、後来は知る由もない。人は皆、生きるべく与えられただけの時に満足しなければならぬ。
たとえば、役者が人に喜ばれるためには、どこか出ている幕で喝采を浴びさえすれば出ずっぱりになる必要はないように、賢者も『皆さん、拍手を願います』にまで至らなくてもよい。束の間の人生も善く生き気高く生きるためには十分に長いのだ」
なかなか格好いい言葉を書き連ねていますが、ローマ人たちの死生観は、どういうものだったのでしょう。
本村 一概には言えませんが、キリスト教ではない時代ですから、ここにもあるように「死後は何もなくなってしまう」と考えていた人もたくさんいました。また「死後は別の世界があるかもしれない」と考えている人もいました。
ここでカトーが言っているのは、「死後は何もないなら、そこでおしまいでいいじゃないか。もし別の世界があるなら、それに備えるのもいいのではないか」と。考え方によってどちらでもいいから心配することではない、といった内容です。
―― しかも出ずっぱりじゃなくていい。いい役者のように一幕喝采を浴びれば、それでいいじゃないかという考え方ですね。
さらに「老年だからこそ気概をもって生きられる」という面白い事例を挙げています。
「老年には定まった期限がなくて、義務の奉仕を果たし続け、しかも死を軽んじることができる限り、立派に生きていけるのだ。そこから、老年の方が青年以上に気概に満ち、毅然としているということが起こる。
僭主ペイシストラトスに対するソローンの返答がそのあたりの消息を伝えている。即ち、〈一体何を頼んでそんなに大胆に逆らうのか〉と問われて、ソローンは〈老年を〉と答えたというのだ」
老年なのだ...