●色事と老年――逃れて喜ぶべきか、心の華やぎはあったほうがいいか
―― 続いて飲食の楽しみから色事のほうに話が移り、こんな言葉があります。
「既に老衰期にあるソポクレースが、色事の方はしているかと尋ねられ、『桑原桑原、粗野で凶暴な主人から逃れるように、まさにそれから逃れて喜んでいるところだ』と言ったのは良い答えであった」
そこから逃れて喜んでいるということですが、「いや老年になっても華やぎのようなものはあったほうがいい」といった意見もあると思います。先生はこの心の華やぎ、色事と老年について、どのようにお感じですか。
本村 若いときのようにワーッと盛り上がるというより、歳をとると「好みの女性」がはっきりしてきます。もちろん若いときからありますが、自分の経験を通して「こういう人がいい」「こういう優しさが足りない」など、いろんな思いが出てくる。そういう人とは極端な場合、男と女の関係になってもいいのではないか。
今はとにかくジャーナリズムで「不倫は全部、刑事犯」みたいにいわれます。芸能人や公人の場合そのようになりやすいけれど、実際の行為があるかは別にして、そういう触れ合いがあったほうが絶対楽しいと思います。
●老年の「心の快楽」へ――学びの大切さと誰にも負けない専門性
―― 続いて色事と関連する話として、老年になってからの学びを推奨する箇所もあります。
「老年にとって、いわば肉欲や野望や争いや敵意やあらゆる欲望への服役期間が満了して、心が自足している、いわゆる心が自分自身と共に生きる、というのは何と価値あることか。まことに、研究や学問という糧のようなものが幾らかでもあれば、暇のある老年ほど喜ばしいものはないのだ」
「先にも述べたが、ソローンがある詩で語った例の言葉、『自分は日々多くを学び加えつつ老いていく』というのは見上げたものである。このような心の快楽にもまして大きな快楽は決してありえないのである」
肉体の快楽から離れたことで心を高めやすくなるという論考で、老年の学びの大切さが語られています。新しいものに挑戦するお話が先ほどもありましたが、老年で新しいことに挑戦する、あるいは学びを加えていくのは大切なことでしょうか。
本村 新しい趣味に挑戦するの...