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風流とジョーク…粋な遊び、粋な生き様の精神とは?

江戸とローマ~哲人と俳人(1)日本の風流とローマ皇帝のジョーク

本村凌二
東京大学名誉教授
情報・テキスト
江戸っ子の「粋」な生き方はよく言われるが、ローマにもやはり同様の精神を尊ぶ風習があった。生活にゆとりができ、精神的な遊びが可能になった時代や都市の象徴として、江戸では俳人、ローマでは哲人の心豊かな生き方を探ってゆく。(全4話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:02
収録日:2021/09/16
追加日:2023/09/21
≪全文≫

●「粋」とはどんな概念、どんな生き方か


―― 皆様、こんにちは。

本村 こんにちは。

―― 本日は本村凌二先生の「江戸とローマ」の講座です。今回は、「粋な生き様」「哲人と俳人」ということでお話をいただくことになっています。先生、どうぞよろしくお願いいたします。

本村 こちらこそ、どうも。

――粋というのは、「江戸っ子は粋だ」といった表現がありますが、非常に重要な概念ですね。先生は、粋についてどのようにお考えですか。

本村 やはり文化というのは、ある程度、ゆとりがあるとか、余裕があるとかいった、爛熟したときに出てくるものではないかと思うのです。食うや食わずで生きている時代に粋な生き方なんてできないわけです。

 やはりある程度、生活に少しはゆとりがある。結局、人間は心の動物ですから、他の動物よりも精神的なものに頼るというか、心豊かに生きるという傾向がある。

 粋な生き方の基本的なことは、「遊ぶ精神」なり「遊び心」というようなものをどこかに持っているということではないかと思います。ここでは古代ローマと江戸の比較をしていますが、いろいろな面でそれを感じさせるものがあったり、そういう人がいたりした。そういう例を、今回は見ていきたいと思います。


●なぜ「哲人と俳人」なのか


――ここで挙げられたのがいわゆる俳人、俳句を詠まれる方々と、哲人ということです。この二つを並べられたのはどういう意味でございましょうか。

本村 日本の詩歌というのは、もちろん『万葉集』の頃からいろいろあるわけですし、『万葉集』の中にもいろいろ、人を揶揄したり男女関係をほのめかしたりするようなものもあったりするようです。

 日本の詩というのは、比較的自然を対象としたものが多い。春夏秋冬の季節の移り変わりもあり、そういうもののそれぞれの良さ、春の良さ、夏の良さ、秋の良さ、冬の良さがあることを、いかに日常的な詩のなかで詠んでいくかが、一般的な日本の詩歌ではないかと思います。

 そういうものの中に、「風流」という言い方で、 単なる事実としてのものではなく、どこか少し斜めのところから見て楽しむものがある。

 それから、俳句というのは、どこかそれだけではなくて、滑稽さや、洒脱なものがちょっと混じっている。それらは『古今和歌集』のような古くからある、詩よりもさらに詩の形として短縮されていますし、そういう中で、風流プラス滑稽あるいは洒脱などの込められたものが、俳句の中にはあります。


●公衆浴場で庶民とやりあったハドリアヌス帝


 一方、ローマに触れると、ローマの場合もそういうものがないわけではありません。ただ、俳句ほど縮められているわけではなく、いろいろな詩で互いに相手を皮肉ったりするようなものがあります。

 五賢帝の皇帝ハドリアヌスの時代、ローマ皇帝というと何か絶大な権力を持っているように思いますが、意外に庶民レベルのところもあった。(彼は)実際に公衆浴場などにも出入りしていました。当然、そこで裸になるような場面があったりします。

本村 ハドリアヌスの例でいくと、あるときハドリアヌスが男に出会った。その男は自分の背中を壁にこすりつけて動かしていたから、「なぜ、そんなことをしているんだ」と言ったら、「痒くてしょうがないからだ」と返事をした。そこで、その男に奴隷をつけてやり、身の回りの世話をさせたというエピソードがあった。

 その話がみんなにパッと広まってしまったものだから、ハドリアヌスが来るとみんなが壁に背中をこすりつける。そこでハドリアヌスが言ったのが、「たくさんでやるんだったら、お互いに背中をかけばいいじゃないか」と言ったという(笑)。そういうジョークもあります。

 ハドリアヌスの場合、彼の治世は紀元後二世紀前半、20数年ほどでしたが、その半分ぐらいは属州視察をしていました。つまり、地方巡業ではないですが、地方を巡り歩いてローマには半分ぐらいしかいなかった。

 当時の詩人にフロルスというものがいました。 彼は「私は皇帝なんぞになりたくない。あんな、ものすごい寒いスキティアの冬や、蛮族たちが出てくるようなところを歩き回るのはいやだ」という詩をハドリアヌスに向けて書きました。

 それに対する返答としてハドリアヌスは、「私はフロルスにはなりたくない。汚らしいローマの街の大衆酒場(臭いところ)でしゃべりまくっているなんて、私には耐えられない」と応酬します。

 そのように、絶大な権力者という皇帝のイメージとはうらはらな面があるような人で、先ほど言ったように、公衆浴場などにも行っていた。

 この他、いろいろなエピソードの中で、皇帝と詩人のやりとりがあったりする。そこにも一つのローマ的な、粋な遊びみたいなものがありますね。
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