●ローマの生き方を体現したペトロニウス
本村 ローマにおいては、(第1話でお話しした)ハドリアヌスと詩人のやりとりのようなものがあったりしました。他にも、ローマの生き方そのものとしてペトロニウス(を紹介したいと思います)。彼はネロ帝時代の哲人ですが、趣味人といえばいいのか、非常に文芸や文化への造詣の深い男でした。この人の生き方などは、粋人の極みにあるのではないかというふうに思います。
――これはどういう方なのですか。
本村 彼は先ほど言ったように、ネロの時代の人です。もちろんそれなりの貴族だったので、生活の「粋」ぶりも際立っていました。いわゆる滅私奉公や仕官懸命のような、一生懸命そのために働いていい地位を得るような努力はまったくしたことがない。とにかく時間を自由に費やし、朝は寝ていて、夜はずっと飲み食いして遊ぶような生活を続けていました。
そんな彼でしたが、周りからは非常に評価され、属州長官やコンスル(執政官)にまでなっています。ところが、そういう地位に就くと彼はピシッと役割をこなす。アフターファイブというか(夜の)時間はともかくとして、公人としての務めはきちんと果たしたわけです。もちろん空いた時間は自分の好きにつかっていたし、公職を退くと、また朝に寝て夜は遊んでいる、というようなことがいわれた男です。
非常に趣味人で、とにかくものすごい教養人だったのでしょうね。だから、側近としていろいろな軍人を侍らせていたネロ自身が、ペトロニウスを抜群に評価していたし、どんなことが楽しいのかということについて、ネロは彼の言う通りにし、倣うようにしていたといいます。ペトロニウスがネロにあまりにも気に入られているものですから、他の側近からはだんだん妬みを向けられるようになります。
●妬みを買って讒言された『サテュリコン』の作者
本村 このペトロニウスという人はもう一つ、『サテュリコン』という悪漢小説(ピカレスクロマン)を執筆したともいわれます。これは非常に長大なもので、現在残っているのは文庫本一冊ぐらいの分量ですが、おそらくその五、六倍か、下手すると七、八倍ぐらいの量が書かれていたようです。
何か悪いことをして逃げ回っている二人の男の物語ですが、なぜ逃げ回らなければならないのかは、全体のストーリーを読んでも詳しくは分からないという代物です。
これは単に小説であるだけではなく、50年~60年前にフェリーニ監督の『サテュリコン』という同名の映画にもなっています。つまり、現代人にも訴えるところがあるような素材を用いた物語を、2000年前に書いているわけです。それだけでも、彼の教養の深さ、あるいは遊び心というものが伝わってくる話です。
ペトロニウスはあまりにもいろいろな事柄に精通していて、良し悪しを判断できるような人でした。だから、ネロはペトロニウスの言いなりというか、彼が「いい」と言えばやるような状態でした。そのため、周りの連中から妬みを買い、最後には「陰謀に加わっている」と讒言されてしまいます。
これはおそらく事実ではなかったと思いますが、最終的にネロは「あれほどまで自分が信頼してきたのに、なぜそうなったのだ」ということで、自害を命じる。あの時代ですから、取り調べなどがどこまできちんとしていたかは分かりませんが、そういう結末を迎えます。
●自害に追い込まれたネロの側近セネカ
本村 ネロの側近といえばもう一人、おそらくさらに有名な人として、哲学者のセネカがいます。セネカの場合は、16~17歳で皇帝になったネロの最初の側近(家庭教師)でした。(ネロは)もちろん最初はたいした知識や経験があるわけではないので、セネカなどのアドバイスをもらってやっていく。でも、だんだん自分に知恵というか経験ができてくるにつれ、周りの人間が疎ましくなってきます。
セネカの場合も、ごくごく政治的な行動の側近でしたが、やはり周りから讒言を受け、最終的には自害を強いられることになります。
当時の人たちにとって、「処刑」は一番重い罪でしたが、「自害」というのはまだ名誉が残る。日本でも切腹にはそういうところが残っているのと同じです。だいたいはここ(手首)を切って血が流れるままにする。そのうちにだんだん意識がなくなっていくということです。
セネカの場合もそうやって自害に臨み、だんだん血が流れていくけれども、なかなか死に至らない。そのため、最終的には他の部分も切って自害することになったようです。
セネカとペトロニウスのどちらが先だったかはよく分からないけれども、ペトロニウスはあまりに文芸趣味だった。セネカの場合は、まさに政治の現場でしたが、ペトロニウスは遊びの時間の中でネロが非常に信頼した相手であり、彼の価値観に従った行動をするようになっ...