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ローマの皇帝に必要だと言われた2つの資質は?

五賢帝時代~ローマ史講座Ⅷ(2)暴君の経験を経てネルウァ登場

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
ネルウァ
五賢帝時代はどのように始まったのか。東京大学名誉教授の本村凌二氏が、カリグラ、ネロ、ドミティアヌスという五賢帝時代前の暴君の経験を経てネルウァが登場するまでを、グラビタスとレビタスという2つの皇帝の資質から語る。(全9話中第2話)
時間:15:34
収録日:2018/02/08
追加日:2018/05/13
カテゴリー:
≪全文≫

●カリグラの登場による帝政の転回


 表向きは独裁者を許さないことが、カエサルからオクタヴィアヌス、アウグストゥスに至り、結局ローマ人の意識が共和制ではなく帝政、つまり元首という一人の人物に全権を委ねるシステムに出来上がっていくわけです。

 もちろん、以前にもお話ししたように、皇帝になる人物は自分から「絶対権力者です」とか、「国王です」とか、そういうことは言いません。あくまでも自分は全権を握るのではなく、むしろ全権をローマ国家に返す姿勢を取りながら、周りが彼らに委ねる形でローマの帝政が成立しました。それからアウグストゥス、ティベリウスとうまくいき、ティベリウスが亡くなった後にカリグラという非常に若い皇帝が登場しました。最初の約半年は良かったのですが、一説によれば神経系統の病気を患い頭がおかしくなったということですが、非常に残忍な皇帝になります。


●母や側近を殺害し、自害したネロ


 ネロは暴君の代名詞のようにいわれますが、母親を殺し、自分の側近を次々に死に追いやり、最終的には自分が追い詰められ、自害せざるを得なくなりました。

 一方、彼はパフォーマンスも好きでしたから、民衆の前に芸人あるいは芸術家のごとく出て行って、戦車競技に参加したり、竪琴の演奏をバックに自分で歌ったり、詩を創作したりと、人前で目立つようなパフォーマンスを行いました。ですから、民衆からすれば皇帝が祝祭的なことをやるというので、それなりに面白い催し物になったのではないかと思います。


●皇帝の2つの資質――グラビタスとレビタス


 ローマの皇帝には2つの資質が必要だとよくいわれます。1つはグラビタス(Gravitas、重々しさ)で、もう1つはレビタス(Levitas、軽々しさ)です。皇帝である以上は、重々しいところもなければいけないが、それが過ぎると今度は嫌われるところがあるということで、この1つの典型がティベリウス帝ではないかと思います。

 逆に、ある程度軽々しい部分も持っていなければいけないのですが、それがいきすぎてしまったのが、人前でパフォーマンスをやったりして目立ちたがりであったネロです。

 ですが、民衆からすれば、彼はさまざまな見世物興行を盛んにやりますから面白い面もあったと思います。ところが、国家の側からすれば、多額の負担を背負うことになるため、国家財政は破綻していまいます。破綻するとそれを補うために、金持ちや元老院貴族たちを処刑し彼らの財産を没収することに奔走することになるのです。加えて、母親殺しに代表されるような、普通では考えられないことまでやったために、彼も最終的には自害に追い込まれます。


●疑心暗鬼のドミティアヌス


 次にドミティアヌスですが、彼は皇帝としては少し気の毒なところがあったのではないでしょうか。彼も性格的にティベリウスに似ていて、実際にティベリウスを尊敬していたといわれています。性格的にグラビタスの部分が非常に強いわけです。

 皆にあまり好まれないということもあり、自分の命や地位を狙う人物がいるという思いにとらわれるようになります。徐々に追い込まれていき、少しでも反抗的であったり意に沿わないことを言ったりする人物を処刑していきます。

 最初はいい君主として立派な行政をやりたいと思っていたけれども、実際に宮廷の中で主導権を握って行動していくようになると、さまざまな力、ベクトルが働いて、その中で疑わしい人間がたくさん出て、陰謀事件らしきことも起こってくるわけです。周りの側近からは、ドミティアヌスが生きている限り自分の命がいつ狙われるか分からないというほど恐れられます。そのため、最終的に彼は暗殺されることになるのですが、彼の妻まで暗殺に加担したのではといわれるくらいでした。


●帝政の存続とネルウァの登場


 このように、カリグラ、ネロ、ドミティアヌスという悪帝ないし暴君を経験しているために、共和制をまた復活させようという動きが、ドミティアヌス暗殺後には顕著になります。それ以前から反ドミティアヌス派はそれなりにいましたから、それらの人々の間でドミティアヌスが亡くなった後、共和制に戻す動きがあったようです。

 ドミティアヌスが亡くなった時すぐにネルウァが選ばれたのも、共和制に戻すかどうかという議論の結論として、最終的に帝政を続けることになったためです。「皇帝を賢く徳のある人にすればいい」という考え方で帝政を続けることになったのです。そのため、元老院貴族の中では非常に老齢でしたが、人格的にも実績においても遜色のないネルウァに白羽の矢が立ち、ドミティアヌス亡き後、最初の皇帝に指名されることになるのです。


●高齢で後継者決めが求められたネルウァ


 ネルウァが皇帝に就任したのは61歳の頃でした。今では還暦すぎてもまだたいして老人...
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