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五賢帝時代は「人類史の中で最も至福の時代」

五賢帝時代~ローマ史講座Ⅷ(9)五賢帝時代の終焉

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
概要・テキスト
「人類史の中で最も至福の時代」と、エドワード・ギボンが『ローマ帝国衰亡史』で評した五賢帝時代も、マルクス・アウレリウスを最後にして、別の時代へと移っていく。東京大学名誉教授の本村凌二氏が五賢帝時代の終焉について語る。(全9話中第9話)
時間:07:51
収録日:2018/02/08
追加日:2018/07/05
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≪全文≫

●ゲルマン民族との戦争に駆り出される


 マルクス・アウレリウスは小さい時に母親が、床で寝ないでというほど、哲学者然としていました。貴族として育ったわけですが、ストア哲学の考え方の中にありますから、自分の世話は自分で行い、質素に暮らしました。

 皇帝になって、もっと良い時代にしたかったのでしょうが、前皇帝のアントニウスと違って、彼の時代にはゲルマン民族の動きが激しくなり、北方では戦争が繰り返されたので、皇帝として、リーダーシップを取らなければいけませんでした。


●疫病の流行も文人肌の皇帝としては不幸な巡り合わせ


 それから疫病がはやります。これは彼にとって非常に不幸だったと思いますが、紀元後2世紀に当たる160年代に、おそらくユーラシア大陸という規模で疫病が流行し、人口の3分の1が亡くなったともいわれています。ですから、マルクス・アウレリウスに対する反感や反乱はほとんど無いのですが、外部のゲルマン民族との戦争や防ぎようのない疫病の蔓延の解決に、彼は多大なエネルギーを割かざるを得ませんでした。

 そうした中、ゲルマン民族の動きを食い止め、疫病も収まっていきますが、それらはマルクス・アウレリウスにとって皇帝としてある種、不幸な巡り合わせだったということです。アントニウスと同じような治世であれば、彼は哲学者で文人肌ですから、もっと穏やかに哲学の思想でも深めたかったでしょう。もちろん事務的な会議はありますが、彼は本来ならばローマにいて、本を読み自らの哲学的著作の執筆活動にふけっていたかったでしょう。

 ですが、いかんせんそういう時代ですから、戦線に駆り出され、指揮を取らなければいけませんでした。陣営の中で執筆活動も行ったといわれていますが、文人肌の皇帝としては不幸な巡り合わせがあったのではないでしょうか。


●マルクス・アウレリウスの唯一の失敗と五賢帝時代の終焉


 マルクス・アウレリウスは、なんとかローマ帝国を切り盛りし、次の後継者に息子のコンモドゥスを指名しました。

 今まで五賢帝は、自分の実子を後継者に指名しませんでした。というもの、その一つの理由として実子がいなかったことが挙げられます。また、男の子がいても若くして亡くなったりして、ネルヴァ=トラヤヌス、トラヤヌス=ハドリアヌス、ハドリアヌス=アントニヌス・ピウス、アントニヌス・ピウス=マルクス・ア...
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