●ローマの伝統である共和制
紀元1世紀末に始まる五賢帝の時代について、お話しします。
オクタヴィアヌスがアウグストゥスという称号をもらって皇帝になってから、五賢帝以前のフラウィウス朝時代の最後の皇帝ドミティアヌスが登場するまでの約120年間に、カリグラ、ネロ、ドミティアヌスという、いわゆる悪帝、暴君と呼ばれる皇帝が出てきたことは、ローマ人にとって大きなショックでした。
悪帝、暴君といっても、果たして民衆レベルでそのことが認識されていたかは定かではありません。しかし、少なくとも知識階級でもある元老院貴族あるいは富裕層といった人たちは悪帝による処刑や財産没収の対象になったため、彼らには非常に評判が悪かったのです。
ローマは紀元前の509年に共和制を樹立してからカエサルの時代までの約500年、そのような独裁者を置かない、共和制という伝統を守り続けていました。独裁者は基本的に良くないと考えられていたからですが、この間に「救国の英雄」とたたえられた人たちが、本人の意思にかかわらず祭り上げられ、独裁者になる危険がありました。
●カルミス将軍、いったん亡命するも戻ってケルト人を撃破
古くは、紀元前4世紀に、第2の救国の英雄、あるいは第2のローマ創建者といわれるカミルス将軍という人がいました。彼は非常に高潔な人柄で、周辺諸国との戦争でも、巧みな戦略で勝ち続け、軍の功績においても大変大きな役割を果たしました。彼が戦争で勝つと周囲から非常に賞賛されますが、それを妬む人間も出てきます。人間の世界では常に嫉妬の念というようなものがあるのです。
そのために彼はいったん亡命せざるを得なくなります。しかし、ケルト人に襲撃された時、やはりカミルスがいないと駄目だというので、戻って占領されたローマの街を奪還しました。もちろん彼自身が独裁者になりたかったわけではありませんが、彼に反感を持つ周りの人々がその危険性を感じていたということです。
●救国の英雄スキピオ、弾劾される
ハンニバルを破ったスキピオもその一例です。スキピオは、ローマを苦しめたハンニバル率いるカルタゴ軍を、紀元前202年のザマの戦いで破ったため、ローマ人にとって救国の英雄として祭り上げられます。すると、カトーなどから彼に対する反発が起こります。カトー自身は高潔な人物ですが、政治活動に関する限り、嫉妬の念が強か...