●シリアからやって来た、とんでもない少年皇帝
カラカラの亡くなった後しばらくたって皇帝に指名されたのは、シリアに住む少年でした。それは、エラガバルスという名で君臨した皇帝です。第1話でセプティミウス・セウェルスはセム語系だといいましたが、本をただすとカルタゴからフェニキア、つまり現在でいえばシリア、レバノン、パレスチナといった地域の出身で、そこに彼の親族もいたからです。
さてエラガバルスですが、とんでもない皇帝でした。問題は主に素行の面で、振る舞いはホモセクシュアルを超え、男性でありながら「女性でありたい」と公言するような人物だったのです。
伝記作家の中には、「ローマ皇帝の列伝中にはカリグラやネロのような悪帝が登場するが、このエラガバルスは桁違いであり、皇帝の威厳などかけらも感じられない」と言った人がいるぐらいです。彼は自分の女装趣味を全く隠すことなく、時と場合によっては女装して売春をしていたという噂も出るほどの皇帝だったのです。
「男であるより女になりたい」と平気で公言するような皇帝は、当時の歴史学者から見てとんでもない存在でした。皇帝の権威という次元で考えると、カリグラやネロの悪行も影を潜め、エラガバルスの背徳が群を抜いているわけです。
●人類の負を凝縮したエラガバルスからアレクサンデルへ
「ローマ史の中には、人類の経験の全てが凝縮されている」と私は申し上げてきました。それはプラスの意味も多いのですが、マイナスの意味でも同様であることが、この皇帝の存在からお分かりいただけると思います。
丸山眞男という偉大な学者も「ローマ史の中には、どんなことも凝縮されている」と言いました。その、まさに負の方、ネガティブなファクターを凝縮したのが、エラガバルスです。そのような素行・奇行に対して、周囲の人々は「ここまで皇帝の権威が地に落ちたか」と苦々しく見ていましたから、やがて彼も暗殺されてしまうことになります。
彼の後に帝位に就いたのは、アレクサンデル・セウェルスです。やはりセプティミウス・セウェルスの遠縁でした。時代が良ければ、それなりの業績を挙げたかもしれない人物ですが、若すぎたことや気弱な面があって、大したこともできないうちに、やはり暗殺されます。
世の中は、この後の「軍人皇帝時代」に向かっていました。セプティミウス・セウェルスは、時代の動向をよく読み、「軍人を富ましめよ」「軍隊をなおざりにするなかれ」と戒めていました。が、アレクサンデル・セウェルスの時代には、もはやその遺訓がうまく伝わっていなかったのかもしれません。
国家財政が窮乏する中、軍隊への優遇を見直し、むしろ縮小して引き締めようとしたのがアレクサンデルの失敗でした。それまで野放しにされていた軍人たちの反感を呼び、総スカンをくらって、最終的に235年には殺されてしまうという憂き目に遭うのです。
●50年間に皇帝が70人輩出する「軍人皇帝」の時代へ
五賢帝時代以後の流れを整理すると、コンモドゥスが192年に暗殺された後、2~3年の混乱の後にセプティミウス・セウェルスが皇位に就きます。その後は息子のカラカラ、エラガバルス、アレクサンデルと続きます。軍人の威光がむき出しに出てくるような時代で、皇帝の権威や美徳は通用しなくなります。そこで、軍事力を利用しながら、どのように帝国を治めていくかが皇帝の課題となり、いわゆる「軍人皇帝」の時代に差し掛かっていくわけです。
軍人皇帝の時代は、235年から284年まで50年ほど続きますが、詳しく話すときりがないぐらいいろいろな皇帝がその間に出てきます。元老院が認めた正式の皇帝だけで26人ほどいるのです。これは単純に計算しても半年に一人です。もちろん長く治めた皇帝もいるので、そうでない皇帝の場合は、ほとんど名前を覚える暇もないぐらい、めまぐるしく変わっていきました。
正式に認められた皇帝だけでもそのような有様で、非公式な「僭称帝」という者たちまで入れると、たった50年の間に皇帝は70人にも上ったといわれます。僭称帝は、それぞれの軍隊により祭り上げられた武将など、元老院は認めないが自分では皇帝だと名乗った人々です。
軍人皇帝の時代は、すさまじい勢いの変化が続いたという意味で、政治的・軍事的な危機的状況です。また一方ではローマ帝国の矛盾として、財政危機・経済危機や社会危機が進む時期でもあります。「3世紀の危機の時代」とも呼ばれる軍人皇帝の時代は、簡単に済ませようとすれば簡単に済ませることもできますが、次回以降でその中のトピックスを取り上げていきたいと思います。