●水の豊富なポンペイの排水システム
本村 ポンペイの街に残っている公衆便所のシステムなどを見ると、現代のちょっとした場所の公衆便所のように行き届いたところがあって、便利だっただろうと思います。ああいうものが、ちゃんと完備されているのは、さすがにローマ(です)。
上水道もそうだし、公衆浴場が非常に普及していて、小さなお風呂まで入れると、ローマの街だけでもおそらく1000近くありました。100万人の都市ですから、1000の公衆浴場があったとしても、その一つを1000人規模で使うわけだから、それなりに混んでいます。
ポンペイの公衆浴場は、確認されているだけでも五つか六つぐらい。ポンペイは、だいたい1万人ぐらいの都市ですが、それなりの広さがあり、そういうお風呂も使えて、ある程度下水道もできていました。
分かりやすいのでポンペイの例を続けますが、ポンペイではある程度、道に垂れ流すところもありました。ところが、ポンペイは水が豊富で、30カ所ぐらいの井戸から常に水があふれていました。大きな邸宅では、個人すなわち自宅の中で水を使えるようになっているけれども、庶民はそういうところまで行って、バケツのようなもので汲み、自分の家まで持っていきます。その水が、絶えず下のほうを流れていたわけです。
ポンペイにはきちんとした舗道が整備されていましたが、向こう側へ渡るための石も置いてあって、下水に触れずに済むような工夫がなされていました。そういう意味では、中世や近代のヨーロッパと比べても、はるかに下水道や汚水の処理について考えられていたわけです。
●暮らしの基盤を支える都市の清潔さ
本村 そういうところが、古代ローマと大江戸日本を比較する(意味でも興味深い点です)。きれいな水を確保したり、お風呂を普及させたりして、清潔さを保つとともに、不潔なものを非常に合理的に処理していく。それらの点で、古代ローマと江戸時代には、非常に共通するものがあったのではないかと思います。
―― 例えば冒頭にヴェルサイユ宮殿のような非常に大きな場所の例が出ました。あるいは貴族階級は香水もたくさん使用していた。そのようなことがあればいいでしょうけれども、(上下水道システムで)一番大きな恩恵を受けるのは庶民階級だったはずです。
住まいは狭いし、香水を大量に使えるわけでもない。そういう暮らしが、(文学作品などでは)えてして貧民窟のように描写され、匂い立つほどの描写がされるケースがあります。そのようになってしまうのか、それともきれいで清潔な都市としてあるのかは、そうした基盤が整備されているか、糞尿サイクルが整備されているかによって、まったく変わってしまう話です。
前回の長屋の話は、家賃2万円ぐらいの家の例ですから、本当に庶民層の場合ですが、そのようなところでもきちんと糞尿の売買がされていたというのは、非常に大きなことですね。
本村 そうですね。確かにヨーロッパでは上流階級は香水ですが、日本でも上流階級の人たちが香を焚くのには、やはりそういうもので匂いが混ざり、なんだか分からないようにする目的があったはずです。しかしながら庶民がそういうことをできるわけがなかった。
やはりおっしゃったように、上水・下水が完備するという(ことが大きい。)人間にとって水は基本的なことですから、それを管理するやり方が、とにかくローマと江戸は、前近代社会の中で突出していたように思います。
逆にいえば、なぜそんなことを他のところはやらなかったんだろうかなあということもありますよね、なんかね。
●江戸の歯磨き、ローマの冗句
本村 何かで読みましたが、江戸の男たちは非常に口臭を気にしたといいます。これはやはり、そういうものに関してとても敏感だったのではないかな。
――よく楊枝のようなもので歯を磨くというのがありますね。
本村 ええ。爪楊枝なども、考えてみると、あまり諸外国にはないですね。最近は出てきているかもしれないけれども、日本は必ずどこにでも置いてあるみたいな感じがあります。
――あれは、おそらく歯槽膿漏の予防等々には役立つでしょうから、先ほどおっしゃった口臭という部分でいうと、きっと予防効果があったでしょうね。そういう意味でも、江戸とローマの共通点は非常に面白いところです。
本村 そういうところでは、いろいろと面白い話もあります。人間だから突然もよおすこともあって、ローマの場合、お墓の石にそれ(に対する注意)が刻んであったりします。
「どうしようもないからといって、ここで小便などはするな。自分のところにはかけないでくれ」「もし、どうしてもしたいのなら、一緒に酒をかけてくれ」。
そんなことが墓碑に書いてあります。そういうジョークのようなことを墓碑に書くというのも、非常に...