●酒の技術と文化が定まった江戸・ローマ
―― こんにちは。
本村 こんにちは。
―― 本日は本村凌二先生に「江戸とローマ」の講義をいただきます。今回のテーマとしては「飲酒の嗜好、ワインと日本酒」というテーマでお話をいただきたいと思います。本村先生、どうぞよろしくお願いいたします。
本村 はい。
―― 飲酒、まさにお酒の話ということですが、江戸とローマで先生がまず注目されるポイントは、どういうところになりますでしょうか。
本村 これは文化の成熟度を基本に置いた上での話ですが、日本酒が現在の形、いわゆる「清酒」になってくるのが、やはり江戸時代ではないかと思います。もちろんずっと以前から「どぶろく」のようなお酒はありますが、醸造の技術がかなり進んできて清酒が出来上がってくるわけです。
一方、古代ローマのほうでは、ワインは本当に古い文化ですから、それこそ有史になる前の紀元前からあったかもしれません。一般には今、中東あたりから始まったのがだんだんギリシアを経てローマに伝わってきたといわれます。ローマの時代は、ギリシアやエトルリアから受け継いだものをより磨き上げていくわけですが、ローマ時代になってだんだん年代物の価値が分かるようになってきます。
それまでは、どの年がいい・悪いということはなく、とにかくできたものをワインとして売り出すというようなものでした。それが紀元前100年あたりに、非常に出来のいいワインができます。
●ワインのよしあしは、気候変動をはかるメルクマール
本村 ワインの出来のよしあしを決めるのは、日照時間の長さです。このような日照時間とワインの出来の関係、ある年には非常にいいものができることに、みんなが気づいてくる。また、出来の良かったものを保存していくこともできるようになる。現在のワインに近づいてきたのは、ローマの帝政期ではないかということです。
江戸時代に日本酒の醸造の技術が進んで洗練されてきたのと同様、古代ローマにおいては現在に近い感じで年代物のワインを味わうようなことができてくる。そのような意味で、非常に比較の対象になるということです。これが今回の話の基本になります。
―― 確かにワインについては、何年物が当たり年だから貯蔵しておいて、ずっとそれを楽しむという楽しみ方もあります。しかし、それがローマからというのは、かなり早い印象ですね。
本村 そうですね。確かに、2000年も前からそういうことを行っているのかと思わされます。面白いことに、これはその後、中世などの時代に入ってからも、何年物のワインがいいということが、気候変動をはかるための一つのメルクマールになります。実際、修道院にはそういうものがたくさん残っております。
―― それは、記録ですか。
本村 その年のワインの記録が残っている。出来がいい、非常に甘かった、酸っぱかったなどで、それを見るとその年の平均気温などが分かるということです。特にヨーロッパの南のほうへ行くと、地中海ですから非常に暖かいのは当たり前なのですが、やや北のほうの北フランス、あるいはライン川沿いのほうへ行くと、だんだん日照時間の影響を受けて、ワインの出来・不出来の差がよく出てくるようになるのです。
中世において、そういうものの記録が残っている。中世というのは、ローマに比べれば生活水準などがずいぶん落ちた時代ですが、それでもそういうことが行われていた。そういう意味ではそれが、それ以前のローマ時代において、そういうことが行われるようになっていたことの、後の時代からの一つの証拠ではないかと思います。
●酒専用の樽廻船が普及する江戸、ワインの壺の山を築いたローマ
本村 日本酒については、江戸時代に限っていうと、江戸周辺ではつくれないものでした。だいたい(当時)上方の大坂や神戸あたりが産地で、今でも灘が有名です。江戸が開府したときに、そういうところでできたものを持ってくることになるわけです。
最初はどうしても陸上輸送になるので、四斗樽という4斗(編注:72リットル)入る樽を1単位として詰め、馬で運ばせました。しかし、これではコストも時間もかかるので、だんだん船で運ぶようになります。もちろん積み荷は酒だけではないので、運搬のための船が頻繁に出るようになる。それで、いわゆる「菱垣廻船」というシステムが出来上がってくるわけです。
ところが当時のお酒は、まだ清酒の醸造技術がきちんとできていない段階で、どぶろくとほとんど変わらないような形でした。これは日持ちがしないので、早く運ばなければいけない。そういうリスクがあったため、最初は菱垣廻船で送っていたのが、だんだん酒専用の「樽廻船」というものができてきます。
江戸の半ばぐらいからは、樽廻船が中心になって、お酒を運ぶよ...