テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

なぜガリア産のワインはおいしいのか、ローマ帝国の酒事情

江戸とローマ~日本酒とワイン(3)樽とサロンと酒合戦

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
古代ローマではワインを「アンフォラ」という壺のような容器で飲んでいたが、やがてガリア地方での貯蔵に「樽」が用いられるようになると、風味が著しく向上する。また、お酒を飲みながら自由な雰囲気で語り合える場としてサロン文化も育まれてきた。一方、江戸では、お酒の楽しみ方として酒合戦が行われていたという記録がある。(全4話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:37
収録日:2021/07/16
追加日:2022/09/04
カテゴリー:
キーワード:
≪全文≫

●ガリア地方の「樽」保存がワインを美味にした


―― 日本の場合、これも小泉武夫先生(東京農業大学名誉教授)の調査されたものですが、江戸の人たちが相当日本酒を飲んでいたと書かれています。元禄の頃、1600年代末ぐらいになると、いわゆる「四斗樽(72リットル入り)」で年間に64万樽、すなわち4600万リットルを開けていた。幕末になると100万樽とも180万樽ともいわれていて、これが1億3000万リットルということになります。

 人口100万人ということで、お酒を飲む人の比率でいえばもう少し少ないとしても、単純に割ると1.8樽で130リットルになります。年間130リットルの日本酒を飲んでいる。多分実際に飲む人は、毎日3合近く飲んでいたのではなかろうかということも書いてあったりします。

 冒頭で先生が「山」になるほどといわれていましたから、ローマの方も相当飲んだのでしょうね。

本村 モンテ・テスタッチオの話ですね。どれぐらい飲んでいたかというと、日本人よりもインド・ヨーロッパ系の人のほうがお酒を飲むキャパシティがありますから。相当飲んでいたと思います。

 ただ、ローマ帝国が進んでくるにつれ、最初はイタリア半島のローマの街だけ考えれば良くて、イタリア産のものが主流でしたが、紀元2世紀頃からご存じのようにガリア(現在のフランス)で樽によって保存する方法が開発されてきます。

―― それまでは樽がなかったのですね。

本村 「アンフォラ」という壺のような容器を使っていました。ところが樽で保存すると、出来もそうですが、そのあと長く保存しておくことでお酒の味が非常に良くなることが分かってきます。

 いまだにフランスのワインがおいしいといわれるのは、ローマ帝国の中で最初に樽詰めを行ったのがガリアだったためで、「ガリア産のお酒はいい」と折り紙付きになっていきます。「いい」というのは、生産されるブドウよりもむしろ「樽で保存する」やり方が非常にいいということで、輸入されてくることも増えたりして、だんだんローマ産が食われていってしまいます。

 ローマ帝国は何百年と長く続きましたから、どの時代のどのものがどういうところから来ていたかということを見ていくだけでも興味深く、ローマ帝国の中でワインの輸出地と輸入地、その移り変わりがいろいろ分かってくるということでも歴史を見る意味でも面白い。

 現在、私たちが大きな潮流として把握しているのは、2世紀頃からガリア(フランス)がローマ帝国の主流になってきたということで、この頃から「ガリア産のワインはおいしい」という評判が定着していくわけです。

―― 日本でも兵庫ですね。灘のほうから非常に長い距離を運んできたことになります。ローマ帝国時代も、ガリアから運ぶということになると、ただでさえ水物で、本来運搬には向かないものだと思うのですが、それを運んでくる執念というか、お酒にかける熱意というか、そこは今も昔もあまり変わらないということですね。

本村 そうですね。やはり私は、人間というのは基本的に働く存在ではなくて遊ぶ存在だと思っています。ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」と名付けましたが、そういう存在だから、遊びの中でリラックスして、みんなと食事をしながら会話することが、非常に大きなファクターをなしているわけです。

―― お酒が文化を支えているといいますか、お酒はもちろん人々の交流の起点になるところもあり、文化と密接に絡まっているところもあると思います。


●お酒を飲みながらアイデアを育んだヨーロッパのサロン文化


―― 古代ローマもそうですが、ヨーロッパ社会全般において、特に文化的な面でお酒が果たした役割について、何か思い当たる節はございますか。

本村 直接にお酒が関わるところでいうと、サロンのようなところでしょう。公式の場面での話は建前の言葉になりがちですが、サロンに場を移すことで自由な雰囲気の中で話せるようになりました。だいたい新しいアイデアというものは、そういうところで人としゃべっていて、相手からちょっとした刺激を受けたり、自分でもしゃべりながら、「俺、なんかすごくいいことを思いついたな」というように始まったりするものです。

 それはサロン風のところだからできることであって、しゃちほこばったシンポジウムでは無理です。シンポジウムは「饗宴」という訳し方をされますが、本来はサロンです。今のように壇上に並んだみんなが、それぞれ30分ずつしゃべって、その後ディスカッションしてくださいというのは、シンポジウムの語源になった"symposion(シンポシオン:ともに飲むこと)"からすると(ずいぶん違う)。

 あの場所に酒でも置いてあれば、まだ別ですが、それなしでやっているのは、どうでしょう。"symposion"が本来サロン的なものだったというのは、ソクラテスやプ...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。