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ワインの神に対するディオニュソス信仰と文明国の境界線

江戸とローマ~日本酒とワイン(4)ディオニュソス信仰と文明

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
人間は理性だけで生きているわけではない。古代ローマでは、ワインの神に対するディオニュソス信仰があり、飲酒がもたらす解放感は、人に自由を担保してくれる。ヨーロッパでは、ワインのできる国が「文明国」、そうでなければ野蛮という線引きも古くにはあった。日本ではむしろ文明がもたらすインフラが日本酒を全国へ流通していった。酒と文明の関係も一筋縄ではいかない。(全4話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:37
収録日:2021/07/16
追加日:2022/09/11
≪全文≫

●ディオニュソス信仰とローマ


―― お酒というと日本では「神事」、いわゆる神様の行事に欠かせないものというところがあります。ローマにおいてもやはりそういう伝統はありますか。例えばディオニュソスなど、いろいろな神様がいるように聞いていますが、どのような扱われ方をしたのでしょうか。

本村 ディオニュソスはワインの神といわれており、ニーチェの『悲劇の誕生』ではアポロンと対比されました。合理性があり、合理的な考え方ができるのが「アポロン的」なものであり、「ディオニュソス的」なもの、あるいは「バッカス的」なものは非合理性だったり、情念を表に出す部分だったりします。

 人間にはこの二つの面があるが、いわゆるギリシャの正統文化はアポロン的なものを強調し過ぎている。本当は人間にはディオニュソス的なもの、つまりお酒に酔っ払って自分の情念を丸出しにするようなところがあるという考えが、ギリシャからローマへずっと続いていきました。

 キリスト教が入ると、そういうものを抑えがちになりますが、古代においてはワインの神に対するディオニュソス信仰があり、少なくともキリスト教の初期の頃までは、各地で彫像がつくられました。要するに人間がリラックスしている状態、その中で自分が精神的な解放感を味わうといえばいいでしょうか。彼らにとってはそういうものがディオニュソスであり、それを具体化したのがワインだということです。

 ローマ時代には、ディオニュソス信仰を取り締まるような法律もだんだんできました。お祭りをして騒ぐのはいいけれども、あまり大騒ぎになると、内乱とまではいかなくても、国家(公権力)側からすれば、秩序を乱す連中だと見られる。そのため、紀元前2世紀の初めぐらいにこれを規制しようとする動きが始まります。

 表向きはバッカス(ディオニュソス)祭礼を行いながらみんなでお酒を飲むのですが、集まりの規模を小さくしろという規制が出るのです。まったく抑圧するということはできませんから、「あまり大々的にするな」という法が残っています。これはたまたま残っていたのですが、こういう規制が繰り返し行われていたのではないかと思います。


●ワインの有無が「文明」を分ける


本村 日本でも、江戸のいろいろな改革が行われた時に、お酒についての制限が段階的に出来上がります。「こういう集まりをするな」ということはないけれども、製造量などが制限され始めたようです。

 ワインの場合は、ローマ帝国が拡大していくにつれてワインの生産地が広がっていきました。でも結局、ヨーロッパでいえばライン川やドナウ川を境界にして、南側ではワインが栽培されるけれども、北側にはない。イギリスに至っては、今では若干つくっているところもありますが、北部のほうだと特にできにくい立地でした。

 ライン川畔でも、南側にはできます。私が20年ぐらい前にドイツへ行った時、ライン北岸のミュンスターというところの先生と会って話すと、彼らは冗談に「われわれの住むこの地域は、野蛮なのだ」と言うのです。つまりワインができない地域に住んでいて、しょうがないからビールを飲んでいる、というのです。

 ローマ時代の昔から、「ワインを飲む地域は文明国」と思われ、文明国でない土地ではしょうがないからビールをつくりました。今でも、ドイツなど北のほうに行くとビールのおいしいところが沢山あります。「ワインを飲む地域は文明国、そうでないところは文明国ではない」というのは、ローマ時代にどんどん北限をつくっていったときに、ちょうど境ができたということのようです。


●大量消費を支える社会的インフラ


本村 これはローマ時代ではありませんが、先ほど述べたように、イギリスではあまりワインができませんでした。しかし、近代におけるイギリスは最も文明国として成功しました。実はイギリスには、中世の時代から大陸のボルドーを支配していた歴史があります。百年戦争というのはそういう中で起こった戦争です。

 イギリス人にとってボルドーは自分たちの支配地ですから、そこでできたいいワインを持ってくれば済む。イギリスはそのように、ワイン生産地のボルドーを自国同然に考えていました。ただ、ヨーロッパ全体で見れば、ライン川から南の国が文明国であるということになるわけです。

 日本酒の場合はどうでしょうか。やはり上方で日本酒が最初に造られます。近代になってからは違うのでしょうが、「樽廻船」のようなことは江戸だけが行っていたシステムです。

 問屋の寄り合いによる「下り酒問屋(くだりさかどんや)」というものがあり、そこに集められたお酒が江戸中に配給される。他のところでは直接生産地(酒を造るところ)から買っていたようで、少なくとも江戸時...
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