●ディオニュソス信仰とローマ
―― お酒というと日本では「神事」、いわゆる神様の行事に欠かせないものというところがあります。ローマにおいてもやはりそういう伝統はありますか。例えばディオニュソスなど、いろいろな神様がいるように聞いていますが、どのような扱われ方をしたのでしょうか。
本村 ディオニュソスはワインの神といわれており、ニーチェの『悲劇の誕生』ではアポロンと対比されました。合理性があり、合理的な考え方ができるのが「アポロン的」なものであり、「ディオニュソス的」なもの、あるいは「バッカス的」なものは非合理性だったり、情念を表に出す部分だったりします。
人間にはこの二つの面があるが、いわゆるギリシャの正統文化はアポロン的なものを強調し過ぎている。本当は人間にはディオニュソス的なもの、つまりお酒に酔っ払って自分の情念を丸出しにするようなところがあるという考えが、ギリシャからローマへずっと続いていきました。
キリスト教が入ると、そういうものを抑えがちになりますが、古代においてはワインの神に対するディオニュソス信仰があり、少なくともキリスト教の初期の頃までは、各地で彫像がつくられました。要するに人間がリラックスしている状態、その中で自分が精神的な解放感を味わうといえばいいでしょうか。彼らにとってはそういうものがディオニュソスであり、それを具体化したのがワインだということです。
ローマ時代には、ディオニュソス信仰を取り締まるような法律もだんだんできました。お祭りをして騒ぐのはいいけれども、あまり大騒ぎになると、内乱とまではいかなくても、国家(公権力)側からすれば、秩序を乱す連中だと見られる。そのため、紀元前2世紀の初めぐらいにこれを規制しようとする動きが始まります。
表向きはバッカス(ディオニュソス)祭礼を行いながらみんなでお酒を飲むのですが、集まりの規模を小さくしろという規制が出るのです。まったく抑圧するということはできませんから、「あまり大々的にするな」という法が残っています。これはたまたま残っていたのですが、こういう規制が繰り返し行われていたのではないかと思います。
●ワインの有無が「文明」を分ける
本村 日本でも、江戸のいろいろな改革が行われた時に、お酒についての制限が段階的に出来上がり...