●長い平和を満喫したローマと江戸
本村 江戸とローマをテーマに何回かお話ししていきます。私がこのテーマに思い至ったのは、専門が古代ローマ史だということに関係があります。古代というのは、まずそれだけでも2000年の時間の幅がある。まして海外のことですから、なかなか現代日本に生きている人間には興味がわかず、たとえわいてもしっくりこないような面があるわけです。
そういう中で、現代日本の人たちにローマを理解してもらうにはどうしたらいいのだろうと考えていた20年近く前に、これはやはり身近な日本の例と比較してみるのがいいのではないかと、ふと思いついたわけです。
普通、二つを並べて比較する場合、片方が古代ローマですから、日本だったら古代の奈良や平安時代などに当たるのだろうと比較してみましたが、それは全然比較の対象にならない。もうまったくどのような点でも共通点がなく、違うところばかりが目立ってくる。
はっきり言えば日本のほうが遅れているわけです。だって、日本でようやく卑弥呼が出てくるのは紀元後の3世紀頃ですが、そのときにもう古代ローマにはコロッセオもパンテオンも建っていた。200年も前に出来上がっていたという状態ですから。
―― すでに世界帝国になったあとですよね。
本村 ええ。同時代の日本では、そういうものは何もできていない。それで比較対象をいろいろずらしていくうちに、どうも江戸はローマと比較すると非常に面白いのではないかと、あるときに思いついた。それで、比較の対象になる限りで少し江戸のことも勉強してみようと思って、研究を始めたわけです。
―― 先生が江戸とローマをご覧になっていて、どういう局面が「これは似ている」というふうに一番似ているのでしょうか。
本村 そもそもの前提として、比較史をやる場合にはある種の必要条件みたいなものがあります。もちろん異質な部分もあるけれども共通項があるということです。それが、ローマの場合も江戸時代の場合も、非常に平和な時代が長く続いていること。これは非常に双方に特徴的なことではないかと思ったわけです。
●「パックス・ロマーナ」は世界史の中でも代表的な平和の例
―― 江戸は260年ほどですが、ローマだとだいたい何年ぐらいと考えればよろしいでしょうか。
本村 ローマの場合、辺境では長く小競り合いが行われていました。ローマが非常に繁栄していたため、外の民族たちがなんだかんだと中に入りたがり、繁栄のおこぼれにあずかろうとするものが多かったからです。そのために、国境地帯では常に小競り合いがありましたが、中心部にいた人々はそんな状態はほとんど知らず、非常に平和な生活を送っていました。
「パックス・ロマーナ」という言葉は、世界史の中で代表的な平和の例として挙げられます。それが何百年続いたのかというと、カエサルやアウグストゥスの頃に始まり、「3世紀の危機」と呼ばれた時代が半世紀ぐらいありますので、そこまでで計算するとやはり250~60年ぐらいになります。
しかし、その時期を横に置いておけば、ローマ帝国自体は5世紀まで続きます。500年近くの間、内部の争いを除けば、ゲルマン民族の小規模な侵入はあくまでも辺境で起こるだけで、中心部では平和な時代が続いたわけです。
ローマが非常に大規模なゲルマン民族の侵入に遭うのは、皇帝マルクス・アウレリウスの時代です。『グラディエーター』という映画をご覧になった方なら、冒頭部分でゲルマニア遠征が描かれていたのをご存じでしょう。あの戦いシーンだけを見るとローマが戦争をしている状態に見えますが、あれはゲルマン民族と接する地域での戦いです。
―― 遠征の最前線ということでございますね。
本村 そうですね。士気を上げるためという意味合いでしたが、そこまで皇帝が出かけていったのは一つの大きな出来事だと思います。そうはいっても、中心部のイタリアやギリシアなど、地中海に近い地域はほとんどその影響を受けていない状態だったわけです。
●民衆の「余裕」と100万規模のサイズ
本村 日本は鎖国を行う以前は「戦国の世」という内乱の時期が続いていました。それから織田信長、豊臣秀吉、徳川家康による統一があり、最終的には家康の時代に乱が治まりました。このときに「参覲交代」のような非常に巧みな工夫がさまざまに施されたため、江戸時代には内乱のようなものがほとんど起こりませんでした。
もちろん藩の内部での権力争いはあるわけですから、どこかしらでいろいろ起こってはいます。しかし、実際に国家全体を動かすようなことは、幕末まで起こりませんでした。そのように見積もると短くておよそ250年、平和な時代が続いていきます。
また、日本の明治維新自体、フランス革命などで起きた流血の惨事と比べると穏やかなものでした。...