●大祭「サートゥルナーリア祭」はクリスマスの原型か
―― あと、江戸の楽しみというと、今でもそうですが、お祭りでしょうか。山王祭、神田祭、深川祭のような祭りがあったりします。ローマの場合、そういう祝祭はどういうイメージで行われたのですか。
本村 それはもちろん、ありました。1年のうちのほとんど半分、あるいはそれ以上が何かの祭りになっているということです。
ただ、お祭りでは基本的にドンチャン騒ぎをして、お酒を飲んだりするわけです。そういうことがどこまでオープンに許されるかというのが、お祭りの基本ではないかと思っています。その中に見世物として「パンとサーカス」の、特にサーカスのほうがあったりするわけですね。
お祭りそのものは江戸もローマも同じです。また、他の地域でもそれはあるけれども、やはり江戸とローマはその中でも突出して多かったのではないかと思います。
―― そうですね、寺社仏閣はたくさんありますから、それらのお祭りを含めると、相当頻度が高かったと言われます。日本の場合、いわゆる山車とか「ねぶた」のようなものを組んで練り歩いたり、いろいろな賑わいがありますが、ローマもいろいろな祭りのときにはそういうものがあったのでしょうか。
本村 そうですね。いろいろな出し物があったりしますが、「サートゥルナーリア(祭)」というのが一番大きな祭りでした。実は(競馬の)馬の名前にもなっていますが、ローマの年の一番最後のほうにある祭りです。
一年の終わりの頃は収穫が終わった時期ですから、どこの土地でもそれを祝う。これがそのまま引き継がれたのかどうか、クリスマスなどもその祭りの期間に含まれています。ローマ時代からあった祭りが、キリスト教の中で「イエスの誕生した日」という形にすり替わったのかもしれません。
本当にその日が誕生日だったのかどうかより、年の一番最後のところで、みんなが1週間なり10日なり本当の無礼講で楽しめる期間です。この期間は奴隷も参加していいとか、そういうことをやっていたのではないかと思います。
●まともに街を歩けない、イタリアの年越し花火
―― 古代とイコールというわけにいかないでしょうけれども、先生はローマなりイタリアのお祭りなどに行かれたり、出くわしたりされたことはございますか。
本村 出くわしたというのはないけれど、12月31日の花火はどこ...