●対話の時期の鍵を握る「祭り」と「ニキアスの平和」
プラトン『ポリテイア』という対話篇の設定について、お話をしています。前回は登場人物について見てみましたが、対話の設定がいつなのかということについて、少し詳しくお話ししたいと思います。
前回読んだ冒頭部では、ある祭りに参加したことが舞台になっているとありました。これは歴史上本当にあった話です。おそらくそこで描かれているような素晴らしい行列が行われたと伝えられています。
この祭りについて、紀元後5世紀の注釈家であるプロクロスや古代の注釈では、「タルゲリオンの月の19日目」だったと記録しています。これはだいたい初夏に当たりますが、月や日にちまで分かっているということは、かなり有名な出来事だったということでしょう。ただ、何年に行われたのかということが、現代ではきちんと分かっていません。日付が分かっているのに年が分からないというのは、ちょっと不思議なことです。
フィクションとはいえ、プラトンがこれだけ重要な対話をさせた場所がいったい何年のことなのかについて、研究者は論争してきました。19世紀の偉大な文献学者だったアウグスト・ベックという人は、紀元前411年から紀元前410年ぐらいを候補として挙げました。これは、紀元前413年にペリクレスが始め、紀元前404年にアテナイの敗北で終結したペロポネソス戦争の後半部に当たるところです。
それに対して、20世紀の前半にはA.E.テイラーというイギリスの学者が、紀元前422年から紀元前420年ぐらいではないかという説を出しました。これはちょうど「ニキアスの平和」といわれる時期で、ペロポネソス戦争の真ん中あたりで一時休戦が成り立った平和な時代だったということです。
どちらも強い根拠はありません。テイラーの説は、みんながこれほどのんびりと議論しているのは平和な時期に違いないという程度の推測です。
●「祭り」が行われた年をめぐる学説の展開
現代では、もはやこれはほとんど復元できないだろうと思われていましたが、2000年代の前半、東京大学で歴史学を教えていた桜井万里子先生(現・東京大学名誉教授)と私は共同で論文を執筆し、対話の年代を(紀元前)412年春ということで確定しました。この説を唱え、あちこちで発表して、一部の方々からそれでいいのではないかと認めていただいています。これは、いろいろな証拠から、今まで出ていない時期について提案したものです。
桜井先生は、この時期の古代アテナイの宗教儀式などについて非常に詳しい研究をされている先生で、最初に出てきた祭りについての史料を分析しています。最初にソクラテスが言うときには名前が出てこないのですが、少し後で女神の名前が語られます。ベンディスという女神の祭りで、しかもトラキアから新しく導入された女神様の祭りが行われたということです。新しい祭りをしているということなので、これはかなり記憶に残る出来事のはずです。
では、それはいつだったのか。歴史の史料に残っているわけではないのですが、ペイライエウスから出土した石碑の中に、「アテナイの民会がこの祭りを行うと決議した」という碑文が出てきています。桜井先生はそれを分析され、ベンディス女神の祭典を導入するという決議はおそらく413年から412年に制定されたという結論を下されました。新しい神を導入するというのは非常に重要なことであり、そのためにお金を供出すると決めたわけなので、これは当然国家として導入するものです。それが紀元前413または紀元前412年ということは、祭りは翌年ということになります。
そうした推測から、紀元前412年であろう、と。なぜなら、紀元前411年にはアテナイで大事件が起こり、そのような祭りを悠長に開くことはできなかったからです。「四〇〇人寡頭政権のクーデター」と呼ばれる事件です。それまでのアテナイの民主制を一時ひっくり返し、少人数の別の政権をつくろうというクーデター未遂事件が起こり、首謀者が捕らえられて処刑されるという事件でしたから、アテナイは動揺する時期です。
紀元前411年はそういうことが起こった年ですから、おそらくその年ではなく前の年であろうというのが桜井先生と私の共同研究であり、論文に著した結果です。
●長いペロポネソス戦争とアテナイの混乱
もし仮にそうだとすると、これはどういうことを意味するのかを考えていきたいと思います。プラトンは、ペロポネソス戦争の後半に当たる紀元前412年の春という時期に、ソクラテスを中心としたさまざまな人が集まる屋敷で交わされた会話を、一つの作品に著しました。この紀元前412年に何が起こったのかを考えるには、少し細かくなりますが、紀元前415から紀元前413という年、さらにその前の紀元前421~420年あたりを念頭に置く必要があります...