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プラトンの「対話篇」を読み解くうえで重要な「3つの時」

プラトン『ポリテイア(国家)』を読む(2)『ポリテイア』という対話篇〈上〉

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
『ポリテイア(国家)』は「ソクラテス対話篇」という形式で書かれている。プラトンの師ソクラテスが主人公として、他の人物と会話を行っていく中で、さまざまな問いが立てられ、読者は自ら考えを答えることが求められる。今回は対話篇の「読み方」をあらかじめ頭に入れた上で、冒頭部分を丁寧に読み解いていく。(全16話中第2話)
時間:11:37
収録日:2022/07/08
追加日:2022/11/24
タグ:
≪全文≫

●ソクラテスの弟子はなぜ「対話篇」を残したか


 プラトン『ポリテイア』という対話篇を読み解いていきます。

 プラトンの他のほとんどの著作と同様、これは対話篇で書かれています。「ソクラテス対話篇」と呼んでいる形式の一つです。紀元前399年にソクラテスが処刑されてしまった後、それを受けて彼の弟子たちがソクラテスを主人公にして書いた対話形式の作品があり、プラトンの作品はそのうちのごく一部です。プラトンはそこで、自分の哲学を独特の形で展開していることになります。

 プラトンとその仲間が書いたソクラテスの対話篇には、大きく2通りの形式があります。「直接対話篇」すなわち戯曲形式として登場人物がいきなりしゃべる形式と、「間接対話篇」として対話がなされたことを報告する形式です。

 この『ポリテイア』という本は間接対話篇であり、ソクラテスが前日に自分が交わした対話を、その翌日誰かに向けて報告しているという形式を取ります。そのため、ほとんど全ての行に「…と私は言った」「…と彼は言った」と入ります。

 今回は、なぜこの対話篇という形式を採っているのかということを確認していきたいと思います。これは、ただ単に文学的な手法だとか、あるいは生き生きとした設定だとかということではなく、非常に複雑かつ興味深い仕掛けが込められています。

 とりわけプラトンは、その対話の設定に非常にこだわった作家です。文学的にもそうですが、実は哲学的に非常にこだわった作家だと思います。「設定」というのは、対話がなされている時期、どういう人が対話しているのか、あるいはそのトピックはどういうものか、ということをそう呼びます。

 ですから、これは学術論文とは違い、何年何月頃に、誰が誰と交わした対話といった形式を採っています。それをどう読み解くかということが、私たち読者にとってはまず必要になるわけです。


●「対話篇」の読み解き方と「3つの時」


 一般的にプラトンは、歴史的な事実にむしろ非常に忠実に作っているというのが私の分析です。すなわち、自分の生きている時代から数十年離れた時代であっても、かなりヴィヴィッドにその時代の状況を復元することができる。日本のわれわれが馴染んでいる形式でいえば、歴史小説のような感じです。 例えば、幕末や戦国の時代を非常にリアルに体感させてくれるような形式になっているわけです。

 そのときには、主に3つ(場合によっては4つ)の「時」を考慮しなくてはいけません。一つ目は「対話設定」で、そこで交わされている対話がいつなされているかということです。二つ目の時として、「対話の語り」の時期があります。先ほど申した分類でいうと、直接対話篇の場合は、この2つは同一なので、特に問題にはなりません。

 しかし、この2つの時がずれている場合があります。例えば『饗宴』などでは、ずいぶん前に語られた対話を後に報告している例があります。『ポリテイア』の場合は、前日に交わした対話をその翌日報告するということなので、ほとんどずれていないと思ってかまいません。

 もう1つは、「対話執筆」の時です。これはプラトンがまさにソクラテスが死んだ後に書いている時ということです。

 それが3つの時ということですが、あえてもう1つ、4つ目の時を付け加えるとすると、「私たちが読んでいる時」すなわち21世紀の現在ということになります。その間の時間差というものを少し意識して、今から読み解いていきたいと思います。


●冒頭部を読むと気がつく仕掛けの数々


 冒頭部について、私の翻訳で、この著作の最初の数行を読み上げてみたいと思います。

 「昨日、私はアリストンの子グラウコンと一緒にペイライエウスへ下った。女神に祈りを捧げ、同時に祭りを観ようと思って。どんな仕方で祭りを催すのか、今回初めて導入されたものなので。さて、私は街の人々の行列も美しいと思ったが、トラキアの人々が行った行進はそれに劣らず相応しいものに見えた。祈りを捧げ祭りを観賞して、私たちは街へと立ち去ろうとしていた。ところが、私たちが家路を急ぐ姿を見て取ると、ケファロスの子ポレマルコスは召使に、走って行って彼を待つように命じるようにと命じたのだ。」

 これがこの長い作品の最初の部分です。何か小説の始まりのような感じで、情景を髣髴させると思います。先ほど述べたように、ソクラテスは一人称で、「昨日、私はペイライエウスへ行った。そこで、今から話すお話が始まるよ」ということを紹介しているわけです。

 この最初の部分には、いろいろな仕掛けがあることが分かっています。まず、ギリシア語の開口一番の単語は「katebēn」で、「下に降りていった」という過去形の単語です。残念ながら藤沢先生の訳では「行った」と書い...
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