●民主制から僭主制へ――自由が隷属に転換するメカニズム
最善のポリスからどうやって堕落が起こり、劣悪な社会へ、もっというと不正な社会へと転落していくのかというプロセスを描く第8巻、第9巻の議論です。「優秀者支配制」から「名誉支配制」、「寡頭制」(一部の人が権力を持つ体制)、「民主制」と下りてきました。ここから最後の段階に行くステップが一番重要です。なぜかというと、そもそも『ポリテイア』の問題提起というのは、「僭主制が一番いいのだ」という議論から始まっていたからです。
「僭主」は、普段あまり使わないかもしれませんが、「テュラノス」という単語です。「ティラノサウルス」の語源でもあり、「非合法的に権力を得た者」という意味です。親から継いだような形でなく、自分で権力を取ってしまった者を指します。実際には、ペイシストラトスのようにそれなりにいい政治家もいました。基本は、「非合法的に権力を取ってしまった人」という意味の単語です。現代的にいえば、専制君主や独裁者と訳しても構わないと思います。専制君主にしても独裁者にしても、どの社会にもありましたし、現代でも存在します。
では、民主制から僭主制へという正反対の流れが、どうやって起こるのでしょうか。市民全員に参政権があり、みんなが自由な生活を謳歌して、やりたいことを発揮し、「自分は自由であり、それを謳歌している」ということと、一人の独裁者が全てをコントロールして、言うことを聞かせているということは、正反対に見えますよね。でも、歴史の教訓がいうように、この2つは裏と表です。プラトンが言う次のせりふは非常に示唆的です。こう言っています。
「過度の自由が過度の隷属に転換する」(第8巻 564A)
極端な自由は極端な隷属に一気に転換するということです。これは例えば20世紀の歴史でいうと、ワイマール憲法からナチス・ドイツに、その制度を使いながら行ってしまったところ、あるいは大正デモクラシーからそのまま戦前日本の軍国主義に突入してしまったところで、私たちもかなり経験のあるところだと思います。つまり正反対の位置ではなく、民主制と呼ばれながらも悪い面が発揮されたとき、その指導者は僭主(テュラノス)に変身するということです。テュラノスは、今から説明するように、狼に喩えられます。
●民主制の指導者と僭主の間に横たわる大きな一線
民...