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律令国家から王朝国家へ…「請負制」と公家、武家、寺社家

平安時代の歴史~「貴族道」と現代(2)請負システムの浸透と王朝国家の確立

関幸彦
日本大学文理学部史学科教授
情報・テキスト
10世紀以降、平安時代の日本において、天皇は権威ある存在として権力から離れていくと、政治権力を代行する存在が登場してくる。それが摂関家、武士、宗教権門の3つである。これは中国の律令国家モデルからの脱却と日本独自の「王朝国家」の確立を意味するもので、公家、武家、寺社家がそれぞれの専門に応じた権力の請負システムを実現していくことになる。今回の講義は律令国家から王朝国家への過程を解説する。(全9話中第2話)
時間:07:45
収録日:2023/10/20
追加日:2024/01/12
キーワード:
≪全文≫

●10世紀以降、天皇は権力を持たず、権威という存在へ


 それでは、前回述べたように、特に平安時代の、10世紀以降の内部の構造、権力の構造の変化というものを、どのように理解すればいいかということです。理解のしやすさからいえば、前回にいったような、お手本のある時代とお手本がなかった時代という言い方で整理すると、10世紀以前の律令の国家です。おそらく、これを見られている方の中には歴史好きな方や、高校時代に受験でやったという方など、律令国家というものをよく勉強したいう方もおられるでしょう。

 律令というのは、まさしく中国の隋唐帝国をお手本にしたもので、律なり令なりを原則とした国家運営のシステムであり、これを総体として律令国家と呼ぶわけです。

 その律令国家の中にあって、天皇が権威と権力を一身一体の中で、集中的に中央集権の権力を実行していくのです。ある意味で、中国の皇帝主義というものを日本にそのまま平行移動していったということになるわけです。

 ところが、徐々に天皇の権威と権力が一体化してきたものが、10世紀以降になってくると権威と権力の分離、分裂というものがなされていきます。つまり10世紀以降の天皇というのは、権力は持たずに、むしろ権威という存在で不動の立ち位置を獲得していくのです。その意味では、政治権力は別立ての形で、その政治権力を代行する存在が登場していきます。


●「王朝国家」で政治権力を代行する公家と武家と寺社家


 平安期における政(まつりごと)の代行というシステムが、実際にどのような形でなされたかというと、天皇に代わって政の代行をなすわけですから、天皇は権威体として鎮座し、そして天皇の代わりの権力の部分だけを政の立場で代行していくのです。このような家柄が、「摂関家」という立場の家柄なのです。

 ただ、国家というのは公事とか、あるいは祭事とか、総体としての政治、行政の政だけで終わるわけではなく、例えば様々な騒乱とか、あるいは内乱とか、紛争などを、武力的な形で解決を余儀なくされることもありました。

 その意味では、戦う人、つまり武力を請け負うという形で国家に組み込まれる立場の勢力もありました。これが後になってから、戦う人々の集団という意味で、「武士」「武家」と呼ばれるようになります。

 しかし、武士武家という存在だけで国政が運営されるかというと決してそうではなく、むしろ祈る人の集団、「宗教権門」もまた、非常に大きな意味を持つわけです。

 つまり、10世紀以降の国家は一元的に権力を朝廷、あるいは朝廷と同様の存在である天皇、その天皇を後ろ盾とする朝廷の一元的な権力の集中というものが、徐々に変容して変化していきます。そして変化していく中で、権力の分散というものがなされていくのです。

 ですから、政をする人々のことを「公家」といって、これは貴族です。それから戦う人々の集団を「武家」といって、いわば武士たちによってなされるような権力体です。そして3つ目が祈る人々の集団である宗教権門で、これを一般に神仏の形で考えると、「寺社家」と呼ばれます。

 つまり、公家と武家と寺社家というものが、どの権門でも1つの権門だけで権力が遂行されるということが難しい状況になってくると、それぞれがそれぞれの専門に応じた請負のシステムが実現されていくわけです。

 それが顕著になっていくのが10世紀以降の大きな流れです。要するに、請負というシステム、請負という原理が日本社会の中で徐々に浸透し始めるこの時期こそが、「王朝国家」と呼ばれる時期なのです。

 そして、律令国家という中国のお手本を持って、お手本通りの形で対応していきます。たとえていえば、日本は小さな国で島国にもかかわらず、お隣の巨大な中国の部分の中で衣裳をすっぽり借りたわけです。しかし、まだ日本国は小さくて、借りたときの衣裳はぶかぶかだったということです。

 しかし、そこから徐々に肉付けがなされていって、その自分の骨格に見合う形で徐々に成熟していきます。その過程の中で、外からの借り物と内側のポテンシャルというものが合体していって、日本的なありようのシステムが生まれていくわけです。

 これが10世紀の王朝国家です。この王朝国家を軸にしながら、先ほど言ったように、政をする集団が、公家、貴族で、戦う人の集団が、兵(つわもの)、武士武家で、そして祈る人々の集団が、寺社家という形で、それぞれ3つの権門が、自分たちの請負というシステムに対応した形での流れが、構造的にこのように大きく変わっていく時代であり、これが平安の後期になって顕著になっていくのです。これを1つのポイントとして、内部構造では押さえておきたいと思います。
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