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関ケ原はトップ官僚・石田三成と中央集権体制をつぶす戦い

徳川家康の果断と深謀~指導者論と組織論(5)持続可能な天下泰平の制度設計

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
徳川家は家康を「東照大権現」としたり、元号を「元和」とするなど、徳川に権威を持たせる仕組みをつくっていった。さらに持続的な「天下泰平」を実現するために、豊臣秀吉と同じ轍を踏まないよう、豊臣が中央集権的なシステムを作ろうとしたのに対し、それぞれの大名を尊重し、封建制を守ったのだ。天下分け目の関ケ原の戦いは、いわば国家デザインを懸けた戦いだったのだ。 (2022年9月14日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「徳川家康の果断と深謀~その指導者論・組織論」より、全5話中第5話)
時間:14:07
収録日:2022/09/14
追加日:2022/12/27
タグ:
≪全文≫

●徳川家康は「大権現=天皇より偉い」とする


 とにかく上野の東叡山寛永寺に皇室によって徳川家康(東照大権現)を守らせるというデザインをつくった。しかも、比叡山における本地垂迹説、つまり天台宗に付属した形で育った神道思想に基づいて「権現という神さまは偉い」という形にした。この「権現(あるいは大権現)」は漢字の通り、全ての権威・権力を持ってこの世に現われているというものです。

 密教系の思想においては、普通にこの世で暮らしていては見えない仏の世界や神々の世界と、現実的に統治しなくてはいけない世界の両方に影響力を及ぼしているものが最高に偉く、それを実践するのが大権現です。

 天照大神のような高天原を支配して、この世を見守っているかもしれないけれども、この世に直接的な影響力を持っていないと思われるもの。あるいは神々の子孫としてこの世におり、京の都で位などを与えていて権威や格式は守っているけれども、あの世と直接つながっている高天原と連携があるわけでもなく、しかも現実の日本を力で治めているわけでもない天皇家というのは、今言った天台宗が育てた本地垂迹説的な神仏混淆の神道思想である「あの世とこの世を両方治めているもののほうが、あの世だけ、この世だけ治めているものよりも偉い」という理屈でいうと、どちらも大権現よりは偉くないということになるのです。

 その大権現であり、日本を実際に実力で治めているのは徳川家であって、家康は徳川家の始祖として神になり、徳川家を日光あるいは久能山から見守っている。特に日光は江戸の真北です。あの場所をわざわざ天海が選んでいるわけです。真北は北極ですが、道教において北極は天皇です。北極星のことを「天皇星」といい、北にいるのが天皇だ、と。だから、象徴としては天皇に成り代わっているのです。

 家康は大権現になってあの世を治めている。そして、現実の家康の子孫が江戸で日本を治めている。徳川家の子孫と家康が大権現のパワーを持っている。大権現のパワーは京都の朝廷や神話の神々の上にある。これは、忠義、上下関係を絶対的に守り続けることが大事だという儒教の思想プラス、大権現思想――あの世とこの世を貫いているのは徳川で、天皇家はあの世とこの世を実力においては貫いていない。血筋においては天照大神から天皇家につながっているかもしれないけれども、この世を実力でもって治めているのは徳川家だ。そして、あの世に大権現として家康がいるのだったら徳川家のほうが偉い、という理屈なのです。

 江戸時代の人々が、そこまで大権現について理解していた、また徳川将軍家のほうが天皇家よりも宗教思想・政治思想において偉いということを理解していた、というわけではありません。ただ、徳川将軍家が禁中並公家諸法度などをつくって、江戸幕府が朝廷や天皇を制御できるような理屈をつくるといったことは全部、この大権現思想から来ているわけです。大権現が朝廷の言うことを聞かせて何が悪い、と。建前では「畏れ多い」といっても、本当は畏れ多いとは思っていないのです。自分のほうが偉いということにしているわけですから。

 この驚くべき、足利氏、源氏、織田氏、豊臣氏などでは考えつかないような途轍もなく超越的で、ローマ教皇も驚くようなデザインを、思想的にも政治的にもやっているのが家康なのです。

 そして、いざというときの天皇の予備が上野の山の宮様だということです。もし京都で徳川に反旗を翻す大名に担がれるような者が出てきたら、南北朝時代を再現して、足利尊氏が北朝を立てたように、東叡山のお坊さんを天皇にしてしまえばいいわけです。そして、「こちらのほうが正しい」と言って、あとは戦争をして勝てばいい。こういう形で、いざというときは南北朝時代を再現して、北朝・徳川氏が勝てるようにがんばればいいということにもなる。

●権力確立の象徴として元号を変える


片山 それから元号制定権力です。要するに、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼした後に家康は、それまで朝廷の専権事項として武家がそれほど積極的に手を出そうとしてこなかった元号を制定する権力を事実上、奪います。それで「慶長」という元号を「元和」に変えさせる。

 大坂夏の陣が慶長20年で、それが改元し、元和元年となります。つまり、「天下泰平の和の時代の大元が今、始まった」と。ある意味で畏れ多い元号ですが、徳川氏が日本で初めて真の天下泰平をなし、もとの平和な時代がここから始まるという「元和元年」です。豊臣氏滅亡の年、徳川権力確立の年、これは「元和」という元号でなくてはいけないと...
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