●王朝の時代、唐から宋へという転換が与えた周辺地域への影響
前回は内部のお話をしました。今回は平安時代を取り巻くわが国の外的状況、外的な環境について話していきます。日本はいうまでもなく海に囲まれています。ということは、海が持つインパクト、外からのインパクトであり、このインパクトが内側のところとうまく連動しながら、次なるさまざまな変化をもたらす要素があったということです。
ですから、海に囲まれているということは、海はいろいろな意味での防波堤になりますが、一方では、海を通じてしかさまざまな要素が入ってこないという二面性を持っているわけです。
そのことを頭の中に置きながら考えていくと、平安時代というのは、平安という言葉に象徴されるように、あたかも平和の世の連続を思いがちですが、実は疫病その他さまざまな部分の問題を抱えていました。
とりわけ、外的な勢力の侵攻もありました。外的な勢力といえば、教科書的にはモンゴルの襲来、元寇云々がすぐにわれわれの頭をかすめますが、元寇以前に日本国が遭遇した最大の対外的な危機は、実は平安時代の、まさしく王朝の時代に訪れるわけです。
そのことを考えるとき、前に言ったように10世紀が大きな転換期でしたというのは、内部の問題のみならず、外側の問題の転換期という意味でもそういうことがいえるわけです。
では、目を大陸のほうに転じると、地図を参照していただくと分かる通り、ちょうど大唐帝国、つまり唐の王朝が解体します。10世紀初頭の907年に唐は解体し、その後約半世紀ほどの内乱を経て、宋という王朝に代わっていきます。つまり10世紀というのは大陸における大きな変動がもたらされた時期で、中国に限定すれば唐から宋へという転換がなされたのです。実は唐という王朝が解体し、そして新たに宋という王朝に代わるというこの場面は、唐の時代の王朝が周辺の諸地域にさまざまな影響を与えたということになります。
●激変する周辺国に対応して王朝国家に転換する日本
日本もその例外ではありません。ただ、日本国は海という防波堤があって、唐の解体の部分が直接的に連動したわけではないのですが、間接的に連動しました。
直接的な連動というのは、陸続きのエリアです。具体的にいうと朝鮮...