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宇多、村上、醍醐…大転換期を象徴する天皇名の変化

平安時代の歴史~「貴族道」と現代(3)10世紀の外的環境と天皇名の変化

関幸彦
日本大学文理学部史学科教授
情報・テキスト
かつて日本が遭遇した最大の対外的な危機は平安時代、「王朝の時代」といわれる10世紀に訪れる。四方を海に囲まれた日本は諸外国と比べ、歴史的に外部からの危機は非常に少なかったが、その頃の大陸の政治変動に影響され、外部の脅威に対応する形で律令国家から王朝国家へと移行する。特に中国の唐から宋への転換は日本の外交政策にも大きな影響を及ぼし、天皇の役割と権威にも変化をもたらした。今回は当時の外的な環境変化とそれに伴って変化した天皇名について学んでいく。(全9話中第3話)
時間:10:19
収録日:2023/10/20
追加日:2024/01/19
キーワード:
≪全文≫

●王朝の時代、唐から宋へという転換が与えた周辺地域への影響


 前回は内部のお話をしました。今回は平安時代を取り巻くわが国の外的状況、外的な環境について話していきます。日本はいうまでもなく海に囲まれています。ということは、海が持つインパクト、外からのインパクトであり、このインパクトが内側のところとうまく連動しながら、次なるさまざまな変化をもたらす要素があったということです。

 ですから、海に囲まれているということは、海はいろいろな意味での防波堤になりますが、一方では、海を通じてしかさまざまな要素が入ってこないという二面性を持っているわけです。

 そのことを頭の中に置きながら考えていくと、平安時代というのは、平安という言葉に象徴されるように、あたかも平和の世の連続を思いがちですが、実は疫病その他さまざまな部分の問題を抱えていました。

 とりわけ、外的な勢力の侵攻もありました。外的な勢力といえば、教科書的にはモンゴルの襲来、元寇云々がすぐにわれわれの頭をかすめますが、元寇以前に日本国が遭遇した最大の対外的な危機は、実は平安時代の、まさしく王朝の時代に訪れるわけです。

 そのことを考えるとき、前に言ったように10世紀が大きな転換期でしたというのは、内部の問題のみならず、外側の問題の転換期という意味でもそういうことがいえるわけです。

 では、目を大陸のほうに転じると、地図を参照していただくと分かる通り、ちょうど大唐帝国、つまり唐の王朝が解体します。10世紀初頭の907年に唐は解体し、その後約半世紀ほどの内乱を経て、宋という王朝に代わっていきます。つまり10世紀というのは大陸における大きな変動がもたらされた時期で、中国に限定すれば唐から宋へという転換がなされたのです。実は唐という王朝が解体し、そして新たに宋という王朝に代わるというこの場面は、唐の時代の王朝が周辺の諸地域にさまざまな影響を与えたということになります。


●激変する周辺国に対応して王朝国家に転換する日本


 日本もその例外ではありません。ただ、日本国は海という防波堤があって、唐の解体の部分が直接的に連動したわけではないのですが、間接的に連動しました。

 直接的な連動というのは、陸続きのエリアです。具体的にいうと朝鮮半島です。

 朝鮮半島は唐が建国された7世紀の段階は、いわば三国時代を統合した新羅という王朝が、百済あるいは高句麗を打倒して朝鮮半島を統一します。統一新羅です。この7世紀は、新羅と唐が二人三脚体制で周辺諸地域を動かしていくわけです。一方、それに挟まれた旧満州、現在の東北エリアに渤海という国がありました。

 ですから、唐の影響下で国づくりをしていた朝鮮半島の新羅、あるいは東北方面の渤海、そして海を挟んだ日本国は、いずれも唐をお手本にした形で国づくりをしていったという状況です。

 ところが、この唐が解体する状況になってくると、例えば唐が風邪をひいて、くしゃみをして、病気になってしまい、周辺国もそれに感染して病気になってしまったということです。その結果、唐は宋に代わるわけです。それと同じように、お隣の朝鮮半島の新羅は高麗という王朝に代わり、それから渤海という王朝は契丹、中国様式でいうと遼という国に代わっていきます。

 要は、10世紀というものを1つ確認しながら、日本を取り巻く外的な環境を簡単にいうと、大陸にあっては唐から宋へ、それから東北方面の満州にあっては渤海から契丹へ、朝鮮半島の内部にあっては新羅から高麗へという形で、それぞれ三者三様の変化がもたらされます。

 その変化に対応するかのように、日本国も律令国家から王朝国家へという形の国家システムの変化がなされたということです。


●天皇名の変化――グローバル主義からローカル主義へ


 そして、そのことの持つ意味というものを外の関係と内の関係の相互作用の中で、これを象徴する考え方として、天皇号の変化ということを併せて整理していくと、そのあたりが典型的に分かるはずです。ということで、その天皇の名称の変化というものについて、次にお話ししたいと思います。

 皆さんご承知のように、例えば平安京ですが、たぶん中学生のときに「なくよ(794)、うぐいす、平安京(へいあんきょう)」といって、「794年だよね」と覚えたと思います。

 天皇は覚えていますでしょうか。桓武天皇です。

 さらに、われわれは「桓武」という言葉、その響きの中に、似たような「○武」とつく天皇がいることに気づきます。それから、天平の頃の例の天皇、つまり奈良時代に大仏を造り東大寺を造った天皇として聖武天皇がいて、これは頭の中に...
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