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『坊っちゃん』の借金問題から考える人間関係の基礎

『「甘え」の構造』と現代日本(3)人間の自立と『坊っちゃん』のエピソード

與那覇潤
評論家
情報・テキスト
『「甘え」の構造 [増補普及版] 』(土居健郎著、弘文堂)
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「輔弼してくれる人が欲しい」という学生からの相談の話が、『「甘え」の構造』の中に出てくる。土居健郎氏はそこから天皇論と結びつけて日本人の特殊性という方向へ話を進めていくのだが、一方、自立という観点からみると、このエピソードからは人間の普遍的な感情が浮かび上がってくる。そこで、もう一つのエピソードとして『坊っちゃん』が引用されるのだが、それを踏まえて提示されたのは、心理学という「心の理論」である。人間社会を支えてきた、非常に重要なその考え方に迫る。(全7話中第3話)
時間:17:54
収録日:2023/03/13
追加日:2023/06/10
キーワード:
≪全文≫

●「輔弼してくれる人が欲しい」という学生の相談が示すもの


 さて、『「甘え」の構造』という本が日本の特殊性を語っているようでいて、実は人間みんなに通じることを語っていたのではないか、ということで、その視点で見ると、その読み方が変わる代表的な箇所として、89ページに、土居健郎さんのクリニックに通っていた法学部の男子学生のエピソードが出てきます。

 なぜ面白いかというと、とにかく学生生活の中で悩むことがあって、いわば土居さんの診療を精神科で受けていたわけなのですが、この法学部の男子学生が、自分の今のつらい気持ちを「自分を輔弼してくれる人が欲しい」と土居さんに訴えたことです。こういう患者さんはなかなか来ないと思うのですが、自分を輔弼してくれる人が欲しいと、こういう言い方をしたのです。

 土居さんも書いていますが、この「輔弼」というのは、戦前の大日本帝国憲法で国務各大臣が天皇を輔弼するのであるという言い方で使われていた語彙です。つまり、戦前の憲法に書かれていた語彙なのですが、とにかくそれを使い、「自分を輔弼してくれる人が欲しい」と言って自分の生きづらさを土居さんに訴える学生さんが1971年の段階でいたわけなのです。

 ここから土居さんはどのように思考を展開するかといいますと、天皇というのは戦前と戦後で当然位置づけが変わった部分ももちろんあるわけなのですが、天皇というのは要するに、積極的に自分で決断してはいけない存在です。

 この国の方針はこうだ、というように、天皇が自分でどんどん選択して決断すると、何か間違ったときに天皇が責任を負わなければいけなくなってしまうので、天皇は基本的には周りの人に決めていただくのです。土居さんの表現を引きますと、「天皇は、諸事万般、もちろん国政に至るまで、周囲の者が責任を以て万遺漏なきよう取りしきることを期待できる身分である」ということです。

 つまり、戦前の用語でいえば、戦前の天皇を輔弼していた様々な政治家であったり軍人であったりが全て、これなら天皇陛下が恥をかくようなことは起きないでしょうというように輔弼して、いろいろなものを整えてくれて、天皇は、「うむ、そうであるか」と言うだけであるということです。

 したがって、土居さんの言葉で、「天皇はある意味では周囲に全く依存しているが、しかし身分上は周囲の者こそ天皇に従属している」とあります。要するに、周りに全部決めてもらうという意味では、究極の周りに甘える存在が天皇なのだが、しかし一方で、そういう天皇に対して周りこそが、「いえいえ、我々はあなたを慕い申し上げております」というように依存しているということです。

 こういう状態が、日本人にとってのある種の理想型なのではないだろうか。つまり、また土居さんの言葉を引くと、「依存度からすれば天皇はまさに赤ん坊と同じ状態にありながら」、つまり自分では何もできないわけです。周りに助けてもらって初めて政治ができるわけですから、こういう状態にありながら、しかし「身分からすれば日本最高であるということは、日本において幼児的依存が尊重されていることを示す証拠とはいえないであろうか」というように土居さんは述べて、やはり日本の特殊性という方向にいくわけです。

 もちろん、君主制というのは日本だけの制度ではないわけなのですが、やはり君主は自ら決断しないほうがいいと。周りが輔弼してサポートして、何があっても天皇に責任がいかないようにするのが理想の君主制だという考え方は、かなり日本のユニークさが表れている部分ではあるので、いわば甘えることができることは尊いことだ、理想的だという日本の特殊性がここに表れているのではないかというように、天皇論と結びつけて土居さんは言及したりするわけなのです。


●自立は「自分と対立しない他人」がそばにいることで可能になる


 一方で、むしろこの、輔弼してほしいと男性の患者さんが精神科医である土居さんに訴えたときの気持ちというのは、私自身もうつで仕事ができなくなったり、その後リハビリでメンタルクリニックのデイケアに通った経験があるので分かるのですが、日本人だからそう考えるといった日本人に特有の思考様式というよりも、むしろ自分とは対立しない他人というものが必要なのだという、もっと普遍的な感情だったのではないかと、今、土居さんの本のこの患者さんの箇所を読むと、私としては感じるところがあるわけです。

 つまり、輔弼してほしいという言葉は、法学部の学生だからきっと戦前の憲法と戦後の憲法を比較するような授業を受けていたのでしょう。そこから思いついたのでしょうが、それは別に、僕...
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