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学生運動はなぜ暴走したのか?「加害と被害」意識の関係

『「甘え」の構造』と現代日本(6)日本人の被害的心理と社会運動の過激化

與那覇潤
評論家
情報・テキスト
『「甘え」の構造 [増補普及版] 』(土居健郎著、弘文堂)
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『「甘え」の構造』が出版された1971年は、学生運動が盛んな時期だった。その中で、あさま山荘事件など過激化する社会運動の背景として深く関わっているのは、日本人が抱く被害的心理ではないか。その点について、本書の中で著者の土居氏は、かつて英語の授業で習った受動態の話をもとに分析。そこから、「加害と被害」という観点から人間をどう捉えるべきかという問題提起へとつながっていく。(全8話中第6話)
時間:09:38
収録日:2023/03/13
追加日:2023/07/01
≪全文≫

●受動態の使い方にみる日本人の被害的心理と「能動態幻想」


 さて、このように、土居健郎さんの『「甘え」の構造』という1971年の本は、日本人だけが甘えているとか、その甘えとは駄目なものであるというような本では実はないのです。それは、「この本が広めてしまった誤解に過ぎないのだ。むしろ今の日本、そして世界と共通するところの今の日本や人間というものを考え直すヒントが満ちている本なのだ」という、新しい読み方を提示してきたわけなのです。

 その観点で申しますと、注目されるところとして、受動態というものについて面白いことを土居さんが言っている箇所が208ページにあります。

 英語の授業で受動態を習ったときを思い出してほしいのです。これは土居さんが使っている例なのですが、欧米語では「この家は大工さんによって建てられた」みたいな言い方を普通にするわけです。要するに、be動詞プラス(過去分詞で)受身形(受動態)というものです。

 しかし一方で、日本人が日本語で「大工さんによって建てられた」と言うと、非常に持って回った変な言い方のような、間違ってはいないけどそういう言い方は普通しないよね、というかなり変な印象が残ります。

 つまり、欧米語ではナチュラルに受動態を使うのに対して、日本人が日本語で受動態を使うと、どうしたの、というわざとらしい表現になる印象があります。

 一方で、言語学者の金田一春彦さんの議論を土居さんが引用しているのですが、日本人の場合、被害感を示すために受動態を使うという、かなり特殊な受動態の使い方があるのです。

 つまり、日本人は「この家は大工さんによって建てられた」とは言わないのですが、「子どもたちの遊び場があったのに、そこに家を建てられた」というような言い方はむしろするのです。日本人が受動態を使う、そしてそれが日本語としてもナチュラルなときというのは、被害的心理のようなものが込められていることが多いのではないかということを、土居さんは金田一春彦さんの議論を引きながらこの本で提示をしているわけです。これは結構大事な指摘ではないかと思うところがあります。

 それこそ、土居さんの本がかつて、欧米人は立派に自立していて日本人だけが甘えているというようなメッセージとして誤解されて読まれることがあったように、一般に欧米人というのは主体性を重んじる人々であり、日本人はそこまで主体性に重きを置かない人々であるとわれわれは思いがちです。

 しかし、むしろ日本人のほうが、受動態で語られたらそれは被害を訴えているので、「嫌なことをされた」「俺の権利が侵害された」と、そういうときほど受動態を使うというのは、日本人の方がむしろ、欧米人以上に能動態幻想のようなものを持っているのかもしれないと感じるところがあるわけです。

 欧米人ですら、そこまで完全に独立した主体性などは持っていないのに、日本人はむしろ過剰に、欧米にはそういうものがあるはずだと思って、それを徹底しようとしてしまうのです。それは、不可能なプロジェクトだから挫折するのですが、そういうところがあるのかなと思います。

 新型コロナウイルス禍では、日本人だけが完全に独立して、感染しないし、させない状況で生きるべきなのだというような変な状況に陥り、それが実現できない人を叩いたりしていました。こういう状況を生んだ原因でもあるではないのかと思うのです。


●「加害と被害」という観点と過激な社会運動を生んだ背景


 一方で、日本人が受動態で語るだけでそれは被害なのだ、被害的心理の表現になる状況を生きているのではないかということを、なぜ土居さんがこの本で問題提起したのでしょうか。

 最初から申しておりますように、『「甘え」の構造』が出たのは1971年の2月でした。まだ学生運動のようなものが非常に盛んでした。

 有名な「あさま山荘事件」が翌年の1972年です。学生運動が非常に盛んなのはいいかもしれないけれど、日本でも世界でもその過激化が非常に問題になっていました。それこそ内ゲバ事件のようなものも広く報道されるようになっていた時期に、土居さんがこの本を発表したので、「加害と被害」という観点を人間はどう捉えるべきかという問題意識がこの本の最後に出てきます。

 当時、学生運動が盛んであったのは、日本だけではなく欧米とも共通で、1968年は学生運動の象徴的な年として語られることも多いのです。

 当時ベトナム戦争が世界で注目を集めており、西側諸国の青年たちの間では、結局アメリカと同盟している国で暮らしているということ自体が、ベトナム戦争においてわれわれが加害者であるということなのではないか、という問題意識が非常に強まり...
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