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不倫へのバッシングを「もののあはれ」的にはどう考えるか

もののあはれと日本の道徳・倫理(3)「不倫の恋」ともののあはれ

板東洋介
筑波大学人文社会系准教授
情報・テキスト
『源氏物語』で描かれる恋愛の中心は「不倫の恋」である。インモラル(不道徳)ともいわれるその物語に、「もののあはれ」という倫理の基礎を見いだした本居宣長。そこには、切実な「あはれ」を歌や物語といった芸術的にものに描写することと実際に行動に移すことは違う、つまりそれを行為として実践してしまったら処罰されて仕方がない、という宣長の分別があった。そこで今回は、『古今集』に始まる天皇公認の和歌集の中で詠われてきた歌の世界で「不倫の恋」がどう扱われてきたのか、中国の『詩経』の話も交えながら、「もののあはれ」という視点から解説する。(全4話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:39
収録日:2023/08/04
追加日:2024/02/01
≪全文≫

●「あはれ」を歌にすることはよしとした本居宣長の道徳観


―― これ(本居宣長の「もののあはれ」論、道徳についての考え)も、どういうことかということを少し現代的な例など取りながら考えていきたいと思います。

 例えば今、日本ですと、特に芸能人の不倫が起きたときにSNSなどでも、メディアもそうですけれども、大変なバッシングが起きてくるということがあります。そのような不倫バッシング的なものがあったときに、宣長的な「もののあはれ」だと、どうこれを捉えるのかというところです。先生はそこをどのようにお考えですか。

板東 これはすごく宣長の議論の難しいところで、宣長は、要するに不倫物語である『源氏物語』を一生愛しましたし、肯定しましたので、不倫を芸術的に描写することは良い。かつ不倫に走ってしまうほどの当事者たちの思い自体は肯定します。それを持つなとは言いません。人間だからそういう思いが生じるのは自然だけれども、それを本当にやっていいかどうかは別のことであるという、ちょっと不思議で、実践的な次元ではそういうことをしてはいけないという、ごく普通の道徳を宣長は持っているわけです。

 そうしてしまいかねないほど、人間がそういう情念を持つことは肯定する。かつ、それを本当にやらずに、歌や文学という形で表現することも肯定する。それで宣長が言うのは、そうやって歌とか、物語という形で表現してしまうとなぐさまるというか、本当にやらずに済むということです。

 宣長が挙げるのは僧侶の恋の例です。歌などで、男性が多いけれども、恋自体を禁止されている僧侶が異性に恋をしてしまう。『古今集』に始まる公式の天皇公認の和歌集の中にはたくさん僧侶の恋を詠った日本の勅撰集があります。絶対に許されない「不倫の恋」というわけです。

 だけれども、それを歌として詠うことは許されているし、ということはそういう思いを持つことも許されている。だから、もちろん僧侶がそれで女性に手を出すことがいけないのは社会規範として当たり前なのだけれども、そういう思いを持ってそれを詠ってしまうことまでは許すというのが日本の道であるということです。

 本当に他者の切実な「あはれ」が思いとしてあって、それをため息として、歌として漏らすところまでは許す。日本というのはそこを一種の線にしてきたのだということです。

―― はい。

板東 もちろんそこで本当に何か、しかも実践的な行為をしてしまったらそれは処罰されて仕方がないというのが宣長の立場です。


●インモラル(不道徳)な思いを聞き届けるという勅撰和歌集の役目


―― なるほど。そのあたりがどうなのかということですけれども、先生が非常に象徴的なことをおっしゃっておられます。日本の場合、天皇公認の歌集は、勅撰和歌集をはじめいろいろありましたけれども、今のお話にもありましたように、その中にインモラル(不道徳)な内容が載っていることがあるということですね。まずこのお話の前提として、日本において公のものとしての歌が持っていた意味とはどういうところなのですか。

板東 今、説明していただいた通り、平安時代の『古今集』以来、歌の世界の中心かつ頂点は勅撰集です。だから、天皇に選ばれた歌集というものがコアにあり、それが頂点であるという理解は長くあったわけです。現実には天皇ではなくて、時代、時代の代表的な歌人たちが選者、選考委員として選んでいたわけですけれども、形としては天皇が選んだという建前が維持されたわけです。

 しかもその中で語られているのは、別に道徳的なものというわけではなくて、今お話ししたような、僧侶が禁じられているのに恋をしてしまったとか、あるいは既婚者に恋をしてしまったという歌もたくさんあるわけです。あるいは勅撰集ではないけれども、『万葉集』の中には反逆者の歌などもある。天皇に対する反逆を企てて死んだ皇子たちが死にたくないと詠った歌とかが、天皇の名の下に歌集の中に収められています。

 そうすると、それは反道徳的な情念の表現だけれども、それ自体はちゃんと記録として、オフィシャルなものとして残っています。とすると、反逆することは良くないことだし、不倫することは良くないことだけれども、してしまうほどの激しい思い、それ自体の表現は天皇に聞き届けられているという形になるわけです。

―― 天皇に聞き届けられているということなのですね。

板東 そうです。「気持ちはよく分かった。ただ、やるなよ」ということです。でも、それを言うことまでは許されているという線がすごく重いのだと、宣長や宣長の師匠の賀茂真淵は考えました。

―― これはよく、例えば明治になってから、大日本帝国憲法の原理と...
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