●「左道」に訴えないーー『古事談』にみる「貴族道」が「貴族道」たる所以
具体的な事例でいいますと、説話の中で前にお話しした『古事談』というのがまた出てきます。その『古事談』の中に、史実に近いとされていますが、実は『百人一首』で皆さんご承知の藤原実方(さねかた)、通称・実方中将という人物がいます。
実方に関しては、系図資料があります。その系図資料をご覧いただくと、実方について登場する系図があって、「実方略系図」というものです。三平の中の忠平の系譜の中に、忠平の子どもに師尹(もろただ)がいて、その孫にあたるのが実方という人物です。
一方、系図では、その師輔(もろすけ)というのも先ほど出てきました。この師輔の系譜にあたるのが(藤原)行成(こうぜい)という人物がいます。行成(ゆきなり)ということですね。この行成(こうぜい/ゆきなり)は道長のブレーンの1人でもありました。
よく三蹟といいますが、三蹟と三筆というのは知っての通り、三筆というのは唐風、中国風の筆の名人で、三蹟というのは国風の言い方です。その三蹟の1人に行成という人物がいます。彼は中納言から大納言へと出世していく人ですが、この実方と行成があるとき口論に及んだのです。
この口論に及んだ最大の理由は、その実方は『百人一首』でも登場しているように、自分は歌の名人であるとけっこう鼻高々に思っていましたが、行成の「あいつ(実方)は大したことない」という悪口を聞いたからです。本当に言ったのかどうかは分かりません。しかし、その噂――行成が(悪口を)言っているということを聞いた実方は、清涼殿のときに行き会った殿上の間の中で、行成の烏帽子(えぼし)を坪庭にドーンと投げてしまいます。つまり暴力を使ったわけです。
当時の貴族たちにとっては、暴行、暴力というのは「左道」で、左道というのは左の道ということで、正しい道ではないということです。
皆さんもお分かりのように、日本国は漢語・漢字の文化圏ですから、例えば右に対して左、それから黒に対しては白で、黒白をつけるなどといいます。白がプラスのイメージ、黒はマイナスのイメージで、左がマイナスのイメージ、右がプラスのイメージです。
縦と横についても、(横は)横っ面、横槍といい、これは負のイメージです。ところが、縦はまっ...