テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

三平時代から三道時代へ、「摂関政治」定着への大きな流れ

平安時代の歴史~「貴族道」と現代(4)摂関政治と「三平・三道」時代

関幸彦
日本大学文理学部史学科教授
情報・テキスト
平安時代に摂関政治が成立すると、天皇の役割は象徴的なものへと変化していった。この時代、藤原北家によって摂政・関白制度が確立されると、政治権力の中心は藤原摂関家に移る。そして『大鏡』に描かれた、藤原時平をはじめとする「三平時代」から藤原道長に象徴させる「三道時代」への移行こそ、この時代の政治システムの大きな変遷、すなわち摂関政治の定着を明確に示している。この政治的変化は日本史における重要な転換点となり、現代に続く象徴天皇制の源流となったという見方もできる。(全9話中第4話)
時間:13:23
収録日:2023/10/20
追加日:2024/01/26
≪全文≫

●藤原北家によって作られた「摂関政治」のシステム


 それでは、10世紀というのは1つの政治的権力のエポックであることを考えたときに、ある種の請負ということがなされます。政(まつりごと)の請負、いわば政治、経済と、さまざまなことが請負としてなされるわけです。

 その請負のことを政治権力の中で、具体的に天皇の政治に代わって請負という形で対応する政治形態、これが「摂関政治」です。たぶん、摂関政治、摂関家とか、あるいは摂関家の代表が藤原道長であるとか、これらは常識的な形で皆さんは聞いたことがあると思います。

 道長の時代というのは王朝の時代で、「春はあけぼの」から始まる『枕草子』を暗記させられたと思います。また、「いづれの御時か」云々かんぬんや、「やむごとなき際にはあらねど…」などを暗記させられた『源氏物語』もあります。その時代こそが、いわば道長王朝の時代で、その王朝の時代が日本的なオリジナリティというものが生まれていく時代でもあるということになります。

 そして、その時代は摂関政治の全盛の時代としばしば言われます。では、その摂関政治というものはどのようにして生まれたのでしょうか。

 われわれは物事の本質を考えるときに、漢字の成り立ちと、その本来の意味から整理して入っていくと分かりやすいと思います。摂関の「摂」というのは、政を束ね、ふさねることです。そして「関」というのは預かり申すということをいいます。

 お店などで、よく「店主敬白」という言い方があります。「都合によってお休みします。店主敬白」などという言い方があり、「白」というのは「申す」です。ですから、いわば「関白」とは、「関」は預かるということですから、天皇の言葉を預かって臣下に申し伝えることです。この役割を「関白」というわけです。摂政は政を束ね、ふさね、執行していくことになります。

 似ているものですが、一般的に摂政の場合には、天皇が幼少のみぎり(頃)に、天皇に代わって政を代行していきます。これが摂政です。関白というのは、天皇は成人しているけれども、天皇の補佐役、政治相談役で、これが関白です。この摂政・関白両様が、藤原北家によってなされていくわけですが、この政治システムを摂関政治と呼びます。


●現在の象徴天皇制の源流が摂関体制にあった


 しかし、その摂関政治がどういう経緯、どういういきさつでなされていったのかという問題があります。一般的には、お手本があった律令の時代の天皇は、すべからく右も左もしっかり分かっていて、分別があるという天皇が、天皇として政をします。

 したがって、その天皇は、天皇家の一族の中で、親のあとをそのまま子どもが継承するという縦の関係である親子関係というより、兄弟とかおじさんといった関係の中で、その力量がある人間が天皇に選ばれるというのが古い時代の天皇でした。権力を行使する以上、天皇というのはそういう立場だったのです。

 ところが、政を実際に行う人間が、権力を掌握している天皇ではなくなり、天皇は権威であればいいということになってくると、天皇は幼少でも一向にかまわないわけです。そうなると何が重要かというと、血筋です。血統です。この血統書付きの天皇をいかに保存しながら、拝していくかということが重要になるのです。

 したがって、政の権力を握ることを別立ての人間がやっても構わないわけです。血筋を守り、サラブレッドさえ保持していければ構わないという考え方です。これがある意味では、摂関体制というものを作り上げていく根本の問題なのです。枝葉の問題からいえば、摂政は天皇が幼少だとか、あるいは関白は天皇が成人してからだとか、そのようなことをいくら知っていても全然意味がないわけです。

 むしろ、古代の律令的な天皇のシステムというものが、天皇が権力体ということであったがために、天皇が幼少の天皇ではなく、立派な成人した天皇が必要だったのです。

 ところが、血筋、サラブレッド系が重要視されてくると、天皇はもう政治に口出しをすることが不必要な状況が生まれ、天皇は幼少でも一向に構わないわけです。あるいは、成人したとしても奥に鎮座するだけでいいという形になり、権威だけを天皇は持ち続けます。そのことが、逆にいえば、天皇という存在を存続させるシステムとして続けられてきたきっかけでもあります。

 仮に、中国のように一人格の皇帝が権力と権威の両者を持っていたとすれば、これは何か皇帝が失敗したときに、いわば多くの人民は「政は天子たる皇帝に徳がないためである」「それを更迭しよう」「場合によっては武力によって更迭しよう」と考えます。これを命が革(あらた)まるということで「革命」といったわけです。

 そのようなことを、現実に中国では2000年の間に18の王朝が繰り返され...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。