●近代化以前の日本の曖昧な権力構造
―― ちょうど、今、いわゆる一神教の国々の民主主義に対する諸相といいますか、いろいろな姿を見てまいりました。ここで、先ほどの話からすると、日本の立場をどう考えるかというのは、また大変面白い課題かなと思っております。
先ほど、先生がおっしゃったように、日本はもともとが「民主的な風土」といいますか、あまり権力者が権力を表立って振るわないようなあり方の中で、ずっとやってきた国です。いわゆる風土的なものといいますか、気分的なもの、あるいは精神的なものとして民主的な制度というのは非常に馴染みやすいと思います。
今、ご説明いただいたような、いわゆるキリスト教的な背景については、まったく理解していないというか、もともと宗教が違うので理解するのは難しいところではあると思うのですけれど、そういう日本はこの「民主主義」について、どのように考えていけばよろしいのでしょうか。
橋爪 誰かが権力を持つことに対する嫌悪感がかなり広く分け持たれているわけですけれど、逆にいうと、誰かが権力を持たなければ社会はもちませんから、権力を持った人がどこともいえず出てきてしまうということがあります。
まず律令制を見てみると、中国的な権力のシステムで「中心になるのは天皇でしょう」みたいになるわけですけれど、天皇は例によって権力を持ちません。そうすると、藤原氏とか、いろいろな貴族が権力を持つわけです。でも、これが人々の支持を集めているかというと、そうでもないのです。
そうすると、院政などは別の権力で、院政のさらに外側に武士の幕府などの別の権力が出てきて、実力を持って、実際に日本を統治したりするのです。それがどうやって正統化されるかというと、そこがはっきりしない。ということをずっとやっていて、日本が近代化しなければいけないという局面になっていきました。
●尊王思想によって近代化した日本とその後の民主主義
橋爪 そのときに、日本がきわめて速やかに近代化ができた1つの理由は「尊王思想」というものです。
尊王思想は天皇が権威・権力の中心で、人々が天皇に結びつくことによって、自分の任務を果たして、民族の独立を果たしましょうということでナショナリズムの運動になった点で、大変良かったのですけれど、尊王思想は少しだけジハードに似ています。天皇に特に頼まれて...