●日本政治に不足している「展望・戦略・勇気」
―― (前回)「価値観」というお話がありましたが、ここで翻りまして、日本の国内政治のことを考えたいと思います。例えば、今の日本の国会の状況などを見たときに、漫画的といいますか、ピエロ的といいますか、非常に些末な議題が議会を賑わせている状況があります。さまざまな部分で(政治が)劣化しているのではないかと指摘されて久しい。
これまでの世界史を見たときに、中西先生も以前からご指摘になっていますが、例えばロシア革命の後、西側の政治体制を壊すために、まずはその議会の権威を壊すということで、いろいろな工作を行い、人々への議会への信用を落としていくということがありました。あるいはプーチン政権も、例えばヨーロッパの極右政党などに、資金援助を含めたいろいろな援助をして、政治のかく乱をしているのではないかということも指摘されています。
このような世界の動きの中で、日本の政治の現状を考えたときに、気をつけねばならないこと、あるいはしなければならないことは、中西先生はどのようなことだと思われますか。
中西 そうですね、やはり21世紀の日本と世界を考えるときに、民主主義の政治をどうやって立て直すか。プーチンのロシア、あるいは習近平の中国、さらにはトランプ時代に深い分断の溝を経験したアメリカや、極右勢力が跋扈するようになったEUを中心としたヨーロッパ諸国。こういった、人類社会の大きな不適応、もっといえば世界的な脅威。これに直面している21世紀のわれわれが、どう対処すべきかをもう一度、深く考える必要がある。
国際秩序や世界史の行方という大所高所、ラージヒストリー(長大な歴史)を考える俯瞰的な展望。日本が今、本当に必要としているものは、これなのです。俯瞰的な展望と、それに則ってしっかりとした戦略を立てること。そして理にかなった、合理主義に徹した選択をするための勇気(合理主義に徹するためには人間は勇気を持たなければならない)。日本に不足しているのは、この3つです。
つまり、展望と戦略・方法論、そして勇気。この3つが足りない。これが日本政治を混迷に陥らせている、最大の要因のいくつかでしょう。
●日本政治の問題点~選挙至上主義・野党・国民の政治への無関心
中西 そこで考えてみると、日本の政治はやはり、これだけの人類史的な脅威、世界史的な脅威に直面している時代において、あまりにも活力を失いつくしてしまっている。ここからどのように建て直していけばいいのか、新しい進路を見つけられるのか、大変悲観的になってしまうのが政治の現状ですが、その要因をしっかり考えて、はっきり手当しなければなりません。
これは悲観論一辺倒で申し上げるわけではなく、やはりこれまでの日本の中には、いろいろな意味で楽観的になるべき、あるいはなれるような兆候も、実は出てきています。しかし、まずは政治の立て直しから始めなければ、経済の回復・再生もありませんし、いろいろなことが進まないと思います。外交問題だけでは済まない。
日本政治の問題点として、私は3点を挙げたいと思います。
一つは、何をおいても選挙至上主義。選挙が全て、選挙に勝ちさえすればいいのだという選挙至上主義が、あまりにも行き過ぎている。「選挙シニシズム」といいましょうか。何のために選挙があるのかということまで忘れてしまうほど選挙に没頭し、次の選挙のことしか考えない。そういった政治家が多くなり過ぎている。政党の基本的な体質も、与野党を問わない体たらくが非常に恐ろしい。これは昭和初期、あるいは1930年代のドイツ、1920年代のイタリア、1930年代あるいは長い目で見たときのイギリス議会の状況に似ている。特に1910年代と1930年代、つまり第一次大戦、第二次大戦の二つの大戦にイギリスが巻き込まれていくのは、この二つの時代にイギリス議会が大きな危機を経験し、国が対応を誤ったからです。
そのように考えると、やはり政治家たちの価値観、使命感が、非常に枯渇し尽くしてしまう。シニシズム――「それの何が悪いんだ、選挙に勝ちさえすればいいだろう」ということで腐敗してしまった時代。これはどの国にもあるのですが、現在の日本は非常に危機的にそうなっているように思います。
第二の問題点は、野党です。主として野党の行動様式、野党の思考様式が持っている問題点だと思います。
野党が、政策面も含めて、どうして統一できないのか。二大政党制を目指して、大きな政治改革をしたのではなかったでしょうか。ところが、二大政党制になるためには、野党が一つにならなければ二大政党にはなりません。
野党の責任は非常に重いと思います。どうしてそんな重箱の隅をつつくような小さなことでいがみ合って共闘できないのか、ということは問われ...