●歴史には「世代交代」が必ずある
―― 先生の『偽りの夜明けを超えて』の本の中で、最近の欧米の政治の潮流として保守の新しい世代が台頭してきている、これが責任ある保守の時代をつくりつつあるのではないか、というご分析がありました。端的にいうと、トランプ氏のような古い発想による排他的な自国第一主義がむしろ国益を損なってしまうということで、かつて穏健派のスローガンだった「啓蒙された自己利益」の新しいバージョンでの追求が始まってきており、そういうものを掲げる若い政治家も出てきているのではないか、というご分析です。
この動きのご解説と、そういう意味で、責任ある政治の時代が来るのかどうかということでは、先生はいかがお考えでしょうか。
中西 これは明らかに「歴史」、政治に限らずいろいろな分野で人間社会の歩みという意味での「歴史」ということでいえば、「変化してやまない」ということが非常に大きな本質だと思います。どういうことかというと、「世代交代」が必ずあるのです。だから、政治の大きな流れを考えるときに、「世代」が非常に重要な意味を持つのです。
先ほど来、ずっと見てきた冷戦終焉後の30年、あるいは日本でいえば平成、令和という時代の大きな流れ(古い世代がいったん昭和から平成へと交代し、そうして今、新しい令和の世代へ、ということがそれにあたるのかもしれません)の中で、アメリカやヨーロッパでは「Z世代」という世代が非常に注目されるようになりました。
先ほどの例でいきますと、2012年から始まった世界激変、世界がハチャメチャになる時代は、ネガティブな意味で歴史上のリーダーになった、あるいはなり続けている3人の人物を中心に議論しました。一人は、プーチン。もう一人は、習近平。そして、トランプ。この3人が、ずっと世界をかき乱した時代だった。
しかし2022年という年は、この3人の時代が終わった、あるいは終わろうとしている、あるいはいずれ終わるであろうという見通しがついた。この意味で、2012年からの10年間は、やはり一区切りなのだと私は思っています。
●プーチン、習近平、トランプ…その「終わりの始まり」
中西 それはどういうことかというと、2022年に起こったことは、一つはウクライナ戦争です。プーチンにとっては、少なくとも「終わりの始まり」で、このままプーチンは無傷で戦争を終えることはできま...