●少数者をいかに集めるか――多数について考えなければならない理由
「多数派が多数でなくなるとき」――ちょっと変なタイトルだと思うかもしれませんが、われわれが日頃目にしている言論、あるいは主張は、もっぱらマイノリティの話が多いわけです。
「多数というのは当たり前で批判してもいいのだ」「多数を議論する時代ではない」というような意識があるのかもしれませんが、私が申し上げたいのは、多数というのは丸ごと多数ではなく、少数者が集まった(少数者が糾合した)ものだということです。政治をするためには、少数者をいかに集めるかというのがとても大事ですということを申し上げたいわけです。
この多数ということを考えなければならない理由の1つは、多数決が必要とされる制度をわれわれが持っているからです。選挙の場合、必ずしも多数を取らなくても、過半数を取らなくても成り立ちます。ですから、少数で政権を担うことは不可能ではないのですが、通常は、日本の場合ですと首相指名をします。そのとき、議会で過半数を取らないと首相を選ぶことができません。内閣が成立しません。
自分の党だけで過半数を取れない場合は、連立をするわけです。これが比例代表の国だと、もう一般的です。ですから、「ヨーロッパ政治がいい」という人がかなりいます。しかし、ウエストミンスターのイギリス型モデルではなくて、「ヨーロッパ大陸型の政治がいい」という場合は、連立を覚悟しなければいけません。
つまり、選挙で多数を取る、過半数以上の議席を持つ党はほとんどありませんから、連立が常態です。そして、連立のそれぞれの駆け引きというのは、スウェーデンとかデンマークのテレビドラマをご覧になると、連立をいかに維持するかということで首相は非常に苦労していることが分かると思います。
そして、マイノリティを重視するのであれば、少数決でいいではないかと思うかもしれませんが、それは非常に多くの矛盾を含んでいます。実際、運用ができません。例えば、30パーセントと40パーセントの支持者がいて、そこそこ支持があるのだから、それを採用すればいいだろうということになります。ところが、40パーセントの人と30パーセントの人が矛盾した政策を主張していたら、矛盾した政策を採用することは通常できません。
では、結果としてどうするのかと...