●二重構造説の見直しにつながった「ヤポネシアゲノムプロジェクト」
藤尾 今度は弥生人だったらこれがどうなのかということなのですけれど、最初にお見せするのはまだDNAが入る前で、骨だけからやっていたときの話です。
そのときには九州で甕棺墓(かめかんぼ)というものから弥生時代の骨がたくさん出てきたので、九州がいちばん進んでいたのです。そうすると、3種類の人たちがいる。渡来系弥生人と、縄文の形質が強い西北九州の沿岸部にいる弥生人と、種子島とか鹿児島の南にいる南九州(弥生人)の3つの人がいるということが分かっていたのです。
ですから、渡来系弥生人は渡来してきた人と縄文人が混血した、いわゆる二重構造説に乗っていた人たちです。それに対して、西北九州(弥生人)、南九州(弥生人)は混血していない、縄文そのものが残った人たちと考えられていました。ところが、DNA分析をやると違っていたということになるのです。
―― これはどう見ればよろしいのでしょうか。
藤尾 これは、2018年から私たちが行いました「ヤポネシアゲノムプロジェクト」という5年間やった研究で、実際に分析した古人骨の分布図です。
水色の縄文系の人たちとか、紫色の渡来系の人たちとか、それから朝鮮半島の人たちも(分析を)やったわけなのです、選別して。(ただ)DNAはなかなか残っていないので、とにかくやらせてもらうところは手当たり次第にやった結果、得られたのがこれだけという意味でしかないわけですが、(それでも)これだけのことをやりましたということになるわけです。
ここで、中国北部系の赤は実は1カ所しかありません。朝鮮半島の南部にある「安島」と書いてアンドンという(ところ)ですけれど、そのアンドン貝塚から出てきた6千数百年前の人骨から得られたもので、これは100パーセント中国北部のDNAです。
―― なるほど。
藤尾 もともと、二重構造説で想定されていたのはこういう人たちなのです。100パーセント中国北部系の人です。でも、「その人はもう縄文早期からいましたよ。しかも朝鮮半島のいちばん南にいましたよ」という話です。二重構造説は弥生以降を想定していますから、それをさかのぼる3000年も前から実はもういましたよという話が、1つ分かります。
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