●3つの文化説と4つの文化説…判断材料は水田稲作だけ!?
藤尾 結局、九州、それから中四国(編注:中国地方と四国地方を合わせた地域)、本州にいる人たちは、(時代区分を)旧石器、縄文、弥生、古墳というように小学校の6年間でだいたい習いますけれど、沖縄と北海道に関してはそうではないわけです。
藤尾 北海道の場合は、縄文時代から続縄文文化となって、その後、擦文文化、それからアイヌ文化と、縄文以降、別の文化になっていきますし、沖縄の場合も、琉球王朝ができるぐらいまでは基本的に採集狩猟の生活が続きますので、弥生時代とか、古墳時代はなくて、貝塚時代という言い方をしているのです。貝塚が非常に特徴的なものですから。
ですので、いわゆる本土、北海道と沖縄を除く、九州、中四国、本州というところで弥生文化が広がっていった時代には、北海道には続縄文文化がありました。それから、沖縄には貝塚後期文化がありました。これがいわゆる通説なのです。それがこの(スライド内の)下にあります「3つの文化説」です。
それに対して、私は「本州、四国、九州は1つの弥生文化と括っていったのですけれど、実は本州のどこか、(例えば)北のほうは別の文化ではないのか」(と考えました)。ここでは「北の水田稲作文化」という書き方をしていますが、それで「4つの文化説」を唱えているのです。
―― それは何が違うのですか。
藤尾 逆にいうと、共通しているのは水田稲作をやっているということだけなのです。
―― なるほど。
藤尾 でも、東北の北部とか、それから利根川より北の地域になるのですけれど、こういうところでは、まず金属器、特に青銅器文化ですが、青銅器を対象とした文化、(例えば)お祭りだとか、いろいろなものが今のところ基本的には見えないということと、農耕社会といわれているものが本当に成立しているのか成立していないのかということがよく分からないのです。それから、西日本のほうで特徴的な、例えば戦いの存在だとか格差の存在などもよく見えない地域なのです。
ですから、水田稲作という生業のベースは一緒なのですけれど、そこを基本にして社会が変化していく、それから精神的な部分、祭祀的な部分が変化していくという、その2つの部分が見えない、あまりよく分からないのが、この北の水田稲作文化と...