●現代まで評判がよくないプラトンの「詩人追放論」
『ポリテイア』も第9巻までを経て、「正義とは何か、不正とは何か」ということについて、大方の議論の決着はついています。第10巻という最後の巻は補論、まとめに当たるもので、いくつかのトピックが出てきますが、それぞれ非常に重要な補いになっていると思います。
今日は「詩人追放論」と呼ばれる非常に有名な議論をご紹介したいと思います。教育の話はこれまで何回か出てきたように、この『ポリテイア』の政治・倫理の話の中の中核をなしていました。第2巻から第3巻にかけての初等教育の話では文芸と体育の教育、第7巻では数学的な高等教育の話が出てきました。それを受けてもう一度振り返りながら、もう一回「詩」というものを取り上げます。
詩(ポイエーシス)は、現代のポエトリーの語源になっているもので、もともと「制作」という単語です。ギリシアにおいては、これが教育や文化の基本でした。現代日本では詩よりも短歌や俳句のほうが身近で、詩人は非常に特殊な人という扱いを受けます。しかし、当時のギリシアには叙事詩、叙情詩、悲劇、喜劇があり、フェスティバルのたびに詩人が詩を朗読しました。いわば現代のマスメディアや教育、カルチャーの総合的なものだったと考えていただければと思います。つまり、これからお話しする話は文化(カルチャ-)の問題です。
ソクラテスは以前の議論を振り返りながら、「これまでの詩に対するわれわれの扱い方は正当だった」と言います。「模倣(ミーメーシス、真似る)」ということについて、「われわれは理想的な国から追放したよね。それは、正しいことだよね」と言って、もう一度それを確認する議論を行います。
つまり、本当に正しいポリスや社会において、詩というものは基本的に認めるべきではない。認めるとしても限定的に認めるべきだということになります。これが伝統的に「詩人追放論」と呼ばれていて、プラトンは哲学の立場から詩、すなわち文学にチャレンジした、もっといえば争いを挑んだといわれます。
実際、この中でソクラテスは「哲学と詩の間には昔から諍いがある」と、あたかもずっと対立があったように言っています。これは一見過激な感じに見えますが、やはり人間のあり方、生き方をめぐって根本的にそれぞれ違う考え方があり、それをどのように私たちが考えていくかという議論をしているのだと思います。
この「詩人追放論」については、現代に至るまでプラトンはあまり評判がよくありません。つまり、プラトンは芸術に対して理解がない。芸術というものをリアリズムで捉え、「似ている、似ていない」といった話にされては困る。芸術にはもっと素晴らしい価値があるのだという、19世紀ロマン派以降の批判もあります。この全体の議論自体は、先ほど申しましたように、実際に私たち人間が生きる中でカルチャーというものをどのように捉えるべきかという問題に関係しているということです。
●存在論的議論――「寝椅子のイデア」とホメロスの作品
この「詩人追放論」はいくつかの議論からなっています。細かくはご紹介しませんが、1つ目は存在論的議論、2つ目は心理学的議論というように、大きく部分に分かれています。
存在論的議論では、少し不思議な例ですが、「寝椅子のイデア」を用いていきます。寝椅子(ソファー)というものがある場合に、寝椅子それ自体を神がつくったとすると、それは一つのイデアである。職人たちはそれを見て、それを思いながら、この世界でリアルにさまざまな形の寝椅子を作る。つまり、寝椅子のイデアと実物の寝椅子というものがあって、実物は職人が作り、イデアはあえていえば神がつくる。そして、その寝椅子を見ながら絵や彫刻で寝椅子を描く。それが模倣する人たちなのだと。画家や彫刻家ですね。彫刻で寝椅子を作るというのはピンときませんが、可能ではあります。その人たちは何をしているかというと、イデアを見て絵を描いているのではなく、実際につくられた寝椅子を見ながら、それを写している。
そうだとすると、真実の程度や度合いは1、2、3というように、本当の寝椅子というものから見れば段階が隔たっていく、離れていくのです。つまり、模倣するというのは、そういった程度の低い存在にすぎない。だから、そちら(模倣)を有難がるのはおかしな話で、これはやはり上(実物)のほうがより真実に近いのではないか。これが、1つ目の議論の骨子です。
今の議論は私の紹介だけではあまりピンと来ないかもしれませんが、ここで重要なことは、以前に出てきた「イデア論」をもう一度使いながら、果たして私たちが「イデアの知(知るということ)」とどう関わり合うのか、ということをいうときに、「詩人たちは第1のもの(イデア)を見ているわけではないし、第2...