●朝廷での貴族の会議にも表れていた日本的な上下関係
―― 実は最後に、私の問題意識としてお聞きしようと思っておりましたのが、タテ社会(縦割り社会)があるわけですけれど、これ(『タテ社会の人間関係』)をよく読んでいると、上の立場に立った人は、ある意味、先ほどちょっと問題提起させていただいたように、実はリーダーシップが少ない(ということについて)です。
下の人たちは結構自由にやるところがあるけれど、その分、いろいろ調整が大変だったりとか、人間関係に苦しんだりといった、競争があったりして大変ですと。そういう構造なのだなということで、それが日本なのですと。
実はこれを読んでいて思ったのは、建前はみんな平等なのですけれど、中に相当な上下関係がある社会ということです。例えば、大学の教授会の話とかもここに書いてあったりするわけですけれど、建前ではみんな「平等ですよ」と言うだけで、中にタテ社会があるような場合が一番大変だというような話を結構書いていて、批評することもできませんとか、いろんなことが書いてあるのです。けれど、中途半端な改革をするとそういうことになりはしないのかということです。
「皆さん、平等です」というところから、例えば「社内でも平等です」とやったところで、結局、一番きつい形のパワハラのような状況が生まれてしまわないだろうかとか、そのような気がしないこともないですけれど、この時代的な分析をどう生かすべきかというところで、最後に締めていただけるとありがたいと思いますけれど、そのあたりはどうでしょうか。
呉座 やはり小手先を変えればいいということではないというのはそうだと思いますが、例えば大学も要するに呼称が変わりましたね。助教授を准教授に、助手を助教に変えたというのは、それまでの講座制だと、助教授とか助手というのは、大学教授の子分という扱いになっているので、これは良くないと。
助教授、助手も独立した研究者であって、研究者という立場においては大学教授と対等であるから、だから名称を変えましょうということで、准教授という名前になったり、助教という名前になったのですけれど、名前を変えればいいという問題でもないのではないかという、そういう問題もあるわけです。ですから、これはすごく難しいですね。
今(2024年)、大河ドラマで『光る君へ』というのをやっていま...