●日本人のヘタクソな分業とワン・セット主義
與那覇 このあたりは、呉座さんとしてはどのような感じで読まれましたか。
呉座 この『教養としての文明論』でも議論しましたけれど、やはり場の、ある程度の開放性というか、新しい人材、実力のある人を入れていかないと、組織としてやっていけないという側面はどんな社会でもあります。
中国とかの場合だと、すごく広い血縁ネットワークがあり、その血縁ネットワークの中で一番優秀な人に集中投資して、その秀才に賭けるというような方向になっていくわけですが、日本の場合は、婿養子みたいな形で優秀な人を取っていきます。
これは中根さんも書いていたと思いますけれど、だから江戸時代の商売をやっているような家などは、長男がボンクラだと、これでは店が潰れる、家が潰れるということで、娘を優秀な番頭と結婚させて、婿養子にしてつなげるわけです。
ですから、そういう形を取って、ある程度開放性を持つことで、新しい人材を取り入れて、実力主義をちょっと導入することで、なんとか組織の新陳代謝を行っていくという側面があります。そのやり方が社会によって違う。中国だったら広い血縁ネットワーク、日本だとそういう婿養子などの形で、新しく場に迎え入れるという形ですね。
與那覇 その結果として、どのような社会もその社会なりに、いわゆる能力主義とか、競争みたいなものに適応していくのですが、日本はやはり社会のあり方自体が他と違いますから、独特の能力主義、独特の競争になっていくということですね。
この本(『タテ社会の人間関係』)が書かれたのは1967年で、まさに高度成長まっしぐら、真っ盛りなところだったわけですけれど、この日本型の競争原理でやっていってうまくいく時代もあるし、逆にちょっと行き詰る時代というものも出てきます。それで、すごいなと思うのは、中根さんのこの本は1967年なのですが、このまま行くと行き詰るのではないかということを見通しているようなところがあります。
呉座 そうですね。
與那覇 そのあり方の1つが、日本人は分業するのがヘタクソであるという話です。つまり、それこそカースト制度のように、例えば「俺はこれをやる仕事に属しているんだ」「おまえらはこっちをやる仕事に属しているんだ」というように分かれていると、「それぞれベストなパフォーマンスで、違う分野でがん...