●「場」のエモーショナルでつながる人間関係
―― そこですごくお聞きしたいのは、平成は比較的ドラスティックに敗者に厳しい社会でしたね。例えば、江戸なり、中世、あるいは昭和期でもいいのですけれど、何らかの救いの機能がないと、その社会は成り立たないと思います。要するに競争は結構激しかったですと。各藩の中でも結構競争はありますと。特に寛政の改革以降、江戸時代でも結構登用されるようになります。そこで実力で上がってくる人はいいのですけれど、そうではない人に対する救い的な部分というのは、日本社会に何か埋め込まれていたのでしょうか。
與那覇 これはどうでしょう。
呉座 もちろん貧民救済みたいなことはやっていますけれど、でも、それはなにか飢えている人にお救い小屋といったような、そういうレベルはありますが、競争で負けた人をなんとか救おうというような感じのものは、江戸時代はない気がしますね。
與那覇 オフィシャルには実は救ってくれなくて、おそらく(『タテ社会の人間関係』の)168ページに書いてあるような、オフィシャルじゃない集団に行くのでしょうか。ここに挙がっているのは、例えば中根さん曰く、「ヤクザの世界に入った子どもというのは、何回、連れ戻して、更生しようとしても、やはりヤクザの世界に戻る」と。「ヤクザの世界では、保護施設とかでは得られないような理解と愛を受ける」からで、それはいわばタテ社会特有の、「おまえがどこの出身かは知らないけれど、この場所に来たのなら、この場所のみんなでエモーショナルに、俺の子分になるのなら面倒をみてやろう」というような、なにかそういうものがやはり居心地が良くなるからなのだとあります。
これは戦後、盛んになった新興宗教の集団にも通じているものがあります。名前として挙がっているのは創価学会とか立正佼成会。もちろん宗教ですから、こういう教えですよと言って布教はするのですけれど、それ以上に「この人が自分を勧誘してくれて、ものすごく熱心に説得してくれたから、この人となら一緒にやっていけると思った」という、そういうところで居場所をつくっていくことにも通じているのではないかと。
呉座 やはりずっと江戸時代の感覚というものが続いているのかなと思います。だから今でも政府が救うというよりは、会社が従業員を抱え込んで保護してあげるという、救済は企業に任せるとい...