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哲学とは、私たちの魂とプラトンの魂との対話

プラトンの哲学を読む(6)問われているものへ

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
対話とは、言葉によって2つの魂が出会うことである。一方が問いを発し、もう一方が応答する。プラトンの発した問いは時を超え、現代へと続いている。そして、対話こそ哲学だという。では、プラトン対話篇を読む私たちはいかに哲学を始めるべきなのか。東京大学大学院人文社会系研究科教授の納富信留氏が論じる。(全6話中第6話)
時間:11:41
収録日:2018/07/11
追加日:2018/10/06
カテゴリー:
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≪全文≫

●対話とは2つの魂が成立する場所


 前回まで、プラトンの対話篇について、それがどのように哲学になるか、もっといえば、「プラトンが対話篇において哲学をしている」とはどういうことかを考えてきました。

 そして、結局、問いが投げ出されているわけですが、それは、「私たちはむしろ問いの中に投げ込まれている。その中で答えが与えられない。ただソクラテスが吟味する言葉だけが与えられている」ということです。そうした対話篇として書かれた対話を読んだ私たちは、一体どのように哲学を始めるべきなのでしょうか。これを最後に考えていきたいと思います。

 これまで対話という言葉を使ってきましたが、これはギリシャ語のディアロゴス(英語のダイアログ)で、ロゴスとは言葉のことです。ディアとは「何々を通じて」という接頭辞です。つまり、言葉が人と人との間で行き交うこと、それが対話というものです。

 対話という言葉は、プラトンにとって非常に重い言葉だと思いますが、対話を交わすということはどういうことかというと、少しおどろおどろしい言葉に聞こえるかもしれませんが、2つの魂が出会うことです。つまり、決して私のこの体のこの喉が震えて何か言葉が出て、それを耳の鼓膜を通じて聞くという話ではなく、私の魂が発するロゴスを、別の魂、例えばあなたの魂がそれを受け止めるという営みが対話なのです。つまり対話とは、まさに2つの魂が成立する場所だと、プラトンは考えているのです。

 私は、対話についてプラトンが書いている箇所を見ながら、「対話とはそうした意味でソクラテスが交わしているのだな」と読み解くわけですが、そのときに対話がどう成り立つのかが重要です。


●言葉が自分の生き方をつくっていく


 言葉をただ単にやり取りするだけであれば、それは普通のおしゃべり、あるいは普通に行われる日常会話です。例えば、「今日何が食べたい?」「カレーライス」というのも言葉のやりとりですが、哲学の言葉のやりとりは、それとは少し違うのではないでしょうか。

 それは、同じ一つの事柄に関して「それは何か」を一緒に問う、その言葉のやりとりです。例えば、ソクラテスが「正義とは何か」、あるいは「よく生きるとはどういうことか」を問う。その問いを投げ掛けられた相手が「正義とはこうだ」とか、「善い生き方とはこうだ」と返していく。それに対して、さらにソクラテスは疑問をぶつけていく。こういう対話の場面で何が起こっているでしょうか。

 例えば、「正義とは何か」ということを問題にしている場合、正義という言葉で私たちがイメージする事柄、あるいはそれを使って生きていくときの事柄に関係しているということなのです。つまり、私たちは正義という言葉を使いながら生きていくということです。それは、生き方としては正義を貫くとか、こういうあり方が正しいということで、そうしたことを私たちは思いながら生きていくわけです。

 その正義の言葉は、決して空虚な記号ではなく、プラトン、ソクラテスの哲学からいえば、言葉が自分の生き方をつくっていく、ということです。例えば、私は正しい人間になりたいと思いながら、自分の生き方を決めていくことによって、私はこういう生き方をつくっていくわけです。逆にいえば、人からお前の生き方は正しくない、不正だと言われて恥ずかしく思う。そのことによって、自分の生き方をより正しい形へと変えていく。そうして私たちは、正義という事柄に関わりながら、自分の生き方や自分の社会をつくっていこうとしているということです。


●対話によって生き方自体が問われるという厳しい体験も


 そのとき、ではその言葉の本体は何なのか。つまり、正義という言葉で私たちが目指しているものは一体何なのか。このことをソクラテスが聞くわけです。それに対して、私たちは、さしあたっての答えは持っています。例えば、私は50年生きていますが、そこで「あなたがこれまで生きてきた中で感じた、理想的な生き方はどういう生き方ですか」あるいは「正しいと思っている生き方はどういう生き方ですか」と聞かれたら、「こういう生き方だと思っています」と答えます。

 それに対してソクラテスは、「あなたは今、正しいと言ったが、正しさとは何ですか」、あるいは「あなたは善いと言いましたが、善いとはどういうことですか」と聞いてくる。そのとき、「私が今まで信じて生きてきた生き方は、それほどきちんとした根拠を持っていたわけではない。もしかしたら、私は思い込んでいたにすぎないかもしれない」ということが暴かれてしまうのです。

 それは、私のようなもの、あるいは若者にとっても厳しい体験になるわけです。例えば、若者の場合、自分はこういう医者になることが正しいと思って、それまで人生を生きてきて、医学部に入って医者...
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