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対話篇のソクラテスはプラトンの想像による産物

プラトンの哲学を読む(4)ソクラテス対話篇

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
プラトンの描くソクラテスは何者なのか。東京大学大学院人文社会系研究科教授の納富信留氏は、当時ソクラテスを描く対話篇が多く書かれたことを挙げ、複数のソクラテス像が存在したと述べる。その中で、プラトンは際立ったソクラテス像を提示したのだ。(全6話中第4話)
≪全文≫

●対話篇のソクラテスは、プラトンの想像による産物


 プラトンが書いた対話篇を読み解く作業として、前回はソクラテスという人物がメインキャラクターとして登場し対話を導いている意味は何なのかを考え始めました。プラトンが実際にお世話になったソクラテスという実在の先生が語っていることは、必ずしもソクラテスの歴史的な発言そのままではないでしょうし、プラトンの代弁というわけでもないでしょう。だとすると、ソクラテスとは何者だろうか。そのことを考え始めたということです。

 1つの見通しとしては、プラトンがソクラテスという人物との対話を借りながら、ソクラテスだったらどういうことを考えるのだろう、あるいはソクラテスだったらこういう質問に対してどう答えるのだろうと、いわば死んだソクラテスのことを自分の中で想像しながら作っているというものです。

 その意味でいうと、プラトンは、もしかしたらソクラテス本人というよりソクラテスの対話相手の方のポジションに近い形で書いていると読み解くことが、1つの可能性としてあるのではないかと思っています。


●プラトン対話篇の歴史的背景としてのソクラテス裁判


 それをさらに検討する上で、ソクラテスを登場させる対話篇とは結局、何だったのかということを歴史的に説明する必要があります。

 ソクラテスはなぜ紀元前399年に処刑されたのでしょう。彼は神を敬わない、若者を堕落させるという罪に問われて、アテナイの裁判で正式な手続きを経て評決され、死刑になったわけですが、そういった人物をなぜ登場させて作品を書くのでしょうか。

 プラトンの全ての作品が基本的にソクラテスの死後に書かれている前提で私はお話ししていますが、その問題をまずはじめから考えていきます。ソクラテスはなぜ告発されたのか。これはこれで非常に大きな問題ですが、基本的に、神を敬わないという罪は、反社会的な扇動活動をしているという罪だとご理解ください。つまり、宗教裁判という狭い意味というよりは、むしろ反社会的なイデオロギーを唱えているということです。

 ソクラテスは、反社会的なイデオロギーを自分で持ちながら、若い人たちに吹き込んでいるということで告発されて、死刑になってしまったというのが、紀元前399年の事件の大枠です。その時、親しく付き合っていた人物で、実際にソクラテスの教えを受けたという二人の(若い)政治家が強く念頭に置かれていたといわれています。

 一人は、アルキビアデスというアテナイを裏切って敗戦に追い込んだ張本人で、非常に魅力的な人物ですが、自由奔放な政治家です。もう一人は、クリティアスという政治家です。彼はプラトンのお母さんのいとこ、つまりプラトンの近しい親戚に当たりますが、アテナイが敗戦した後に寡頭政治(少ない人数で治める政治)のリーダーになって多くの市民を粛清した人物です。つまり、民主主義の敵になった人物で、そういったことをしながら、最終的には敗れて死んでしまいます。ソクラテスは、この非常に有能な二人の政治家と若い時から付き合ってきたと考えられています。

 プラトンは、アルキビアデスとクリティアスとの対話篇を残していますが、ソクラテスがもしそのようなアテナイにとって危険な若者を育てていたとすると、当然一種の教育責任を問われるということになるわけです。そしてソクラテスは、実際に当時のアテナイの人たちから「この人は有罪だ」と評決されて死刑になったわけですが、実はその裁判はそれで終わりませんでした。

 多くの人々は、ソクラテスがわざわざ死刑になる必要はなかったと思っていました。プラトン自身ももちろんまさかそんな裁判で死刑になるはずはない、と思っていたに違いありません。つまり、社会的に悪いことをしていたわけではないのに、なぜそんな言いがかりのような罪でソクラテスは死刑になるのかと皆、疑問に思っていたのです。同時に一方では、ソクラテスが死んだ後も「やはりソクラテスは悪者だ」と思っていた人もたくさんいました。


●ソクラテス死後の論争とさまざまな対話篇の出版


 そのことは、ソクラテスが死んだ6年後の紀元前393年ごろに、あるパンフレットが出たことから明らかになります。ポリュクラテスというソフィストが書いた「ソクラテスの告発」という文書が出回ったのです。これは、ソクラテスがいかに極悪な男だったか、つまり彼がアルキビアデスやクリティアスを教育することによって、いかにアテナイに悪い影響を与えたかについて書かれた文書でした。ソクラテスが死んでなお数年たっても、ソクラテスに対して論争があったわけです。

 ソクラテスが本当に正しい人なのか、あるいは死刑は当然だったのか。ポリュクラテスの意図は分かりませんが、そのような文書が出た段階で今度はプラトンやクセノフォンとい...
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