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エルの物語…臨死体験から考える「どういう人生を選ぶか」

プラトン『ポリテイア(国家)』を読む(16)エルのミュートス(物語)

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
ソクラテスが『ポリテイア』全10巻の最後に語るのは「エルのミュートス(物語)」である。戦場で亡くなり12日後に蘇生したパンピュリア族の勇士「エル」は、死後の魂の旅路として2つのコースがあることを知る。100年の人生の死後に千年の旅があり、魂は再び次の人生を選んで全てが忘却される。そうして新しい運命に向かうのだが、そこには非常に大事な教訓が込められている。最終話では、このいわば臨死体験のような物語について解説して、歴史上最大の哲学書『ポリテイア』を締めくくる。(全16話中第16話)
時間:15:09
収録日:2022/09/27
追加日:2023/03/31
タグ:
≪全文≫

●魂の見地で考える正義や徳への報酬


 『ポリテイア』第10巻は補遺・まとめのような議論ですが、「詩人追放論」に続いて、「正義や徳への報酬」という議論が挟まります。第2巻におけるグラウコンの問題提起で思い出していただきたいのですが、正義であること、正しいことというのはいったいどういうことなのか。それ自体として善いことなのか、結果として善いことなのか、それともその両方なのかということに対して、ソクラテスは「両方だ」と答えたのでした。

 今までの議論は、実は「それ自体として善い」ということに対する回答でした。つまり、正しい人は結果が得られなくても、あるいは報酬をもらわなくても、それ自体で選ぶべきだということを証明したのです。残りは、「でも、ご褒美もくるよ」というおまけのような話です。

 そのご褒美というのは結局、神が人間の面倒をちゃんと見てくれるという話なので、やや付け足しのように見えます。しかし、ソクラテス的にいうと、正義というのは、人間が完璧に報われるものなのだということを証明したいのです。

 特に魂というものは単に生きている間だけで終わってしまうのではなく、未来永劫続くものである。魂を不死だとしたら、人生の時間はわずかなものでしかない。この生きている時間に、欲望をフル回転させて人の財産を奪うような話と、自分が正しいやり方をするという話では、果たして長いスパンで比べたら、何か違うように見えてきますよねということを言ってきます。

 そこで、魂とは結局どういうものかという話に再度戻ってくるわけで、一旦は「魂の三部分説」を唱えたのですが、やはり本当の魂は理知的な部分だという話になります。ただ、その部分は、通常はいろいろなものに覆われて見えなくなっている。現実の悪によって、フジツボやワカメがいっぱいついた海神(グラウコス)のような状態になっているという話をしていきます。

 ただし神は正しい人と不正な人を見ているから、結局は正しい人は報われるのだということを付け加えています。プラトン自身は人間と神という問題をずっと考えていて、人間の中でできることと、それに対して神がもっと大きな視点から配分してくれることを見ているので、これはとどめのような結論になっているわけです。


●『ポリテイア』全10巻の最後に語られる「エルのミュートス(物語)」


 さて、それに続く最後ですが、『ポリテイア』全10巻の末尾に来るのが「エルのミュートス」という話です。「ミュートス」というのはギリシア語で「物語」と訳すと一番いいのですが、神が出てくることも多いので「神話」と訳されることもあります。この場合は神も出てきますが、一応「物語」として、「エルの物語」と呼んでおきましょう。

 今まで議論をしてきたソクラテスが、最後になっていきなりお話を語ります。今までは精緻な議論を続け、人間の魂や社会のあり方を議論してきたのに、最後にエンターテインメントのような感じで、物語を語る。その物語も非常に興味深いもので、死んでしまったと思われた人があの世で見てきたことを語る、いわば臨死体験の物語です。これを今日、最後にご紹介して、どのようにこの壮大な対話篇が終わっているのかを見ていきます。

 エルという名前の人は実在かどうかまったく分からず、プラトンの創作かもしれませんが、パンピュリア族の勇士で、戦争の途中に死んだと思われていました。それが12日後に蘇生します。この手の話は、どこの国にもあります。仮死状態だったのか、間違えて死んだと思われたのかは分かりませんが、死んだと思って葬ろうとしたら動き出した、生きていました、というような話です。

 それだけなら、ありがちな話だと思うのですが、エルは「その間に実は見てきたのだ」ということを語ってくれる。それが、このお話になっています。プラトンという作家がなぜここにこういう物語を置いたのかという理由について、私たちはいくらでも考えることができます。もちろん創作の部分は大きいですし、元ネタがあったかもしれませんが、いずれにしても私たちはただソクラテスによってこの物語が語られるのを聞くだけなのです。


●死後の魂がたどる2つのコース~千年の旅を経て次の人生を決める魂たち


 さて、死んだと思われたときに、エルの魂は身体を離れてどこかへ行く。天と地との間には非常に巨大な空間として世界が広がっている。天には2つの穴が開いていて、出たり入ったりする穴がある。地にも2つの穴がある。それらが見渡せる大きなところに(エルの魂は)いる。

 死んでしまった者の魂は、そこにやってきては裁判官たちの判決を受ける。正しい生き方をしてきた者たちは「はい、君は上に行きなさい」と言われて天に上がっていくほうのコースをたどっていく。不正な生き方をした者は、「罪を償...
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